内藤 長好(ないとう ながよし)は、江戸時代中期の大名。信濃高遠藩の第5代藩主。高遠藩内藤家10代。
生涯
明和6年(1769年)、高遠藩嫡子の内藤頼多の長男として江戸四谷下屋敷で生まれる。父の死後、内藤頼尚が嫡子となったため、その養子となって安永5年(1776年)に家督を相続する。だが藩政では自ら城を抜け出して川干しを見たり、登山をしたり花火見物、遠乗りや猪狩りなどをして藩政を省みず、かえって領民にその際の負担を負わせて諸費用がかかったという。
しかし、寛政3年(1791年)に嫡子をもうけぬまま死去した。享年23。陸奥国福島藩板倉家から頼以を養子に迎え、跡を継がせた。
系譜
父母
正室
養子
脚注
参考文献
内藤氏 高遠藩5代藩主 (1776年 - 1791年) |
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保科家 | |
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鳥居家 |
- 鳥居忠春1636-1663
- 鳥居忠則1663-1689
- 家中不取締の責任をとり閉門中に急死、改易。特例で能登下村藩として鳥居家は存続。
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内藤家 | |
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