内田 潤(うちだ じゅん、1977年10月14日 - )は、兵庫県尼崎市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代の主なポジションは右サイドバックで、左サイドバック、センターバック、ボランチもこなすユーティリティープレーヤーだった。
来歴
ユース時代は桐蔭学園高校、駒澤大学に所属。
2000年に鹿島アントラーズに入団し、2000年・2001年のJ1リーグ2連覇を経験するが、鹿島時代は満足な出場機会を得られず、2006年6月よりアルビレックス新潟へ完全移籍。2008年から2010年まで選手会長を務めた。
2013年11月18日に新潟との契約満了が、同年12月30日には現役引退とアカデミーコーチ就任が発表された[1]。
7年半を過ごした新潟での人気は高く、2013年から2014年にかけて行われた新潟J1昇格10周年記念のファン投票で「夢のイレブン」に選出されている[2]。
2014年から新潟のサッカースクールコーチとして指導者のキャリアをスタートさせた。2016年9月27日にトップチームの吉田達磨監督が退任し、コーチを務めていた北嶋秀朗、安田好隆も共に退任したことに伴い、後任の片渕浩一郎監督のもとトップチームのコーチに就任し[3]、同シーズン終了まで務めた。2017年からは新潟U-15のコーチに就任したが、同年5月にトップチームの三浦文丈監督が休養し、コーチだった片渕が暫定監督に就任したことに伴い、トップチームのコーチに再度就任した[4]。呂比須ワグナーが監督にしてからはU-15コーチに復帰した。翌2018年からはU-15の監督に就任し、2020年4月をもって退任したが[5]、同年6月1日にU-15のアドバイザーとして再契約された[6]。2021年よりU-15監督に復帰しアカデミーダイレクターを兼任することとなった[7][8]。
所属クラブ
- ユース経歴
- プロ経歴
個人成績
国内大会個人成績 |
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ |
リーグ戦 |
リーグ杯 | オープン杯 |
期間通算 |
出場 | 得点 |
出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
出場 | 得点 |
日本
| リーグ戦 |
リーグ杯 | 天皇杯
|
期間通算
|
2000 |
鹿島 |
23 |
J1 |
8 |
0 |
2 |
0 |
1 |
0 |
11 |
0
|
2001 |
17 |
9 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
10 |
0
|
2002 |
20 |
1 |
9 |
0 |
2 |
0 |
31 |
1
|
2003 |
6 |
0 |
3 |
0 |
4 |
0 |
13 |
0
|
2004 |
17 |
0 |
4 |
0 |
0 |
0 |
21 |
0
|
2005 |
17 |
0 |
5 |
0 |
1 |
0 |
23 |
0
|
2006 |
0 |
0 |
0 |
0 |
- |
0 |
0
|
新潟 |
14 |
1 |
- |
2 |
0 |
16 |
1
|
2007 |
30 |
2 |
5 |
0 |
1 |
0 |
36 |
2
|
2008 |
33 |
2 |
6 |
0 |
2 |
1 |
41 |
3
|
2009 |
32 |
0 |
3 |
0 |
3 |
0 |
38 |
0
|
2010 |
18 |
0 |
4 |
0 |
3 |
0 |
24 |
0
|
2011 |
5 |
0 |
1 |
0 |
1 |
1 |
7 |
1
|
2012 |
5 |
0 |
1 |
0 |
0 |
0 |
6 |
0
|
2013 |
7 |
0 |
2 |
0 |
0 |
0 |
9 |
0
|
通算 |
日本 |
J1
|
221 |
6 |
45 |
0 |
21 |
2 |
287 |
8
|
総通算
|
221 |
6 |
45 |
0 |
21 |
2 |
287 |
8
|
指導歴
- 2014年 - アルビレックス新潟
- 2014年 - 2016年 サッカースクール コーチ
- 2016年9月 - 12月 トップチームコーチ
- 2017年 U-15コーチ
- 2017年5月 - 同年6月 トップチームコーチ
- 2018年 - 2020年4月 U-15監督
- 2020年6月 - 同年12月 U-15アドバイザー
- 2021年 - 2022年 アカデミーダイレクター 兼 HoC
- 2022年 - 2023年 アカデミーダイレクター 兼 U-15監督 兼 HoC
- 2023年 - U-18監督 兼 HoC
脚注
- 出典
関連項目
外部リンク