内田 大孝(うちだ ひろたか、1972年8月28日 -)は、佐賀県佐賀市出身の元プロ野球選手(内野手)。
経歴
佐賀学園高では、3年夏に3番・三塁手として1学年下の4番・エースの若林隆信とともにチームを引っ張り[1]、1990年夏の選手権大会に出場を果たす。同大会では1回戦で甲府工業高と対戦し、チームは敗れるも自身は打点を挙げている[2]。
1990年のプロ野球ドラフト会議で読売ジャイアンツから6位で指名を受け、契約金と年俸それぞれ3,500万円、360万円(いずれも推定)で入団が決まった[3]。
1992年2月にロサンゼルスで右膝半月板を手術。1993年オフに巨人を退団し、福岡ダイエーホークスにテスト入団するが、一軍出場のないまま1995年をもって現役を引退。
詳細情報
年度別打撃成績
背番号
- 90(1991年 - 1993年)
- 63(1994年 - 1995年)
脚注
- ^ 読売新聞、1990年8月4日付朝刊、P.17
- ^ 読売新聞、1990年8月9日付夕刊、P.14
- ^ 読売新聞、1990年11月30日付朝刊、P.19
関連項目