内田 圭一基本情報 |
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国籍 |
日本 |
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出身地 |
東京都東村山市 |
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生年月日 |
(1946-07-13) 1946年7月13日(78歳) |
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身長 体重 |
180 cm 75 kg |
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選手情報 |
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投球・打席 |
右投右打 |
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ポジション |
捕手・内野手 |
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プロ入り |
1965年 |
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初出場 |
1968年 |
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最終出場 |
1971年 |
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経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) |
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内田 圭一(うちだ けいいち、1946年7月13日 - )は、東京都東村山市[1]出身の元プロ野球捕手・内野手。右投右打。
来歴・人物
早稲田実業高校では1963年、2年生の時に控え選手ではあるが春の選抜に出場。同期の織田和男、新藤克己が二本柱として好投、準決勝まで勝ち進むが北海高に9回裏逆転サヨナラ負けを喫する[2]。翌1964年は一塁手として夏の甲子園東京都予選決勝に進出、しかし修徳のエース成田文男に抑えられ敗退、甲子園出場を逸する。1年下のチームメートに荒川(出沢)尭遊撃手、大矢明彦捕手がいた。
1965年に東京オリオンズに捕手として入団[1]。1970年の第1回選抜会議(トレード会議)により、読売ジャイアンツに移籍[1]。ここでもあまり活躍の場はなく1972年に引退[1]。
引退後は、埼玉県入間市で焼肉屋『おでん野球』を経営する。
詳細情報
年度別打撃成績
背番号
- 65 (1965年 - 1970年)
- 51 (1971年 - 1972年)
脚注
- ^ a b c d プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、82ページ
- ^ 「選抜高等学校野球大会60年史」毎日新聞社編 1989年
関連項目
外部リンク