2代 佐々木 嘉太郎(ささき かたろう、前名・嘉造[1]、1879年〈明治12年〉5月27日[2] - 1961年〈昭和36年〉10月21日[3])は、日本の商人(呉服商)[2]、青森県多額納税者[4][5][6][7]、政治家(貴族院多額納税者議員)[3]、実業家、銀行家。青森銀行頭取[8]。津軽鉄道顧問[8]。「布嘉」佐々木家3代目[9]。
経歴
青森県北津軽郡五所川原村(五所川原町を経て現五所川原市)に生まれる[11]。佐々木眞平の長男[7]。初代・佐々木嘉太郎の孫[1]。早逝した2代目の跡を継ぐ。呉服商を営む[2]。1915年(大正4年)、五所川原町会議員に当選[3]。
1918年(大正7年)には青森銀行頭取を兼ねて佐々木銀行を設立した。呉服屋稼業から金融業へと「布嘉」の看板を掛けかえた[9]。ほか、陸奥鉄道社長、津軽鉄道取締役などを歴任した。
1939年(昭和14年)、青森県多額納税者として貴族院議員に互選され研究会に所属[3]、同年9月29日[12]から1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[3]。日本赤十字社評議員、同青森支部商議員を務めた[8]。
人物
1914年、家督を相続[7]。趣味は骨董[6]、書画、読書[1][8]。宗教は曹洞宗[1][8]。『大正人名辞典』によれば「資産は土地、株券を主とし、その他貸金、家屋等を併せて二百万円を超え、方今納税額一万三千余円を納む」という[11]。住所は青森県五所川原市。
家族・親族
- 佐々木家
脚注
参考文献
- 東洋新報社編『大正人名辞典』東洋新報社、1917年。
- 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
- 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
- 交詢社編『日本紳士録 第31版』交詢社、1927年。
- 交詢社編『日本紳士録 第35版附録』交詢社、1931年。
- 人事興信所編『人事興信録 第13版 上』人事興信所、1941年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版 北海道・奥羽・関東・中部篇』帝国秘密探偵社、1943年。
- 人事興信所編『人事興信録 第15版 上』人事興信所、1948年。
- 衆議院、参議院編『議会制度七十年史 第1』大蔵省印刷局、1960年。
- 東奥日報社 編『青森県人名事典』東奥日報社、2002年。ISBN 4885610656。