伊九型潜水艦

伊九型潜水艦(巡潜甲型)
伊10
基本情報
艦種 一等潜水艦
運用者  大日本帝国海軍
計画数 3
建造数 3
前級 伊七型潜水艦(巡潜3型)
次級 伊号第十二潜水艦(甲型改1)
要目
基準排水量 2,434トン
常備排水量 2,919トン
水中排水量 4,150トン
全長 113.7m
最大幅 9.55m
吃水 5.36m
主機 艦本式2号10型ディーゼルx2基
推進器 2軸
出力 水上:12,400馬力
水中:2,400馬力
最大速力 水上:23.5kt
水中:8.0kt
航続距離 水上:16ktで16,000海里
水中:3ktで90海里
燃料 重油878トン
潜航深度 安全潜航深度:100m
乗員 104名(潜水戦隊司令部を含む)[1]
兵装 40口径14cm単装砲x1門
25mm連装機銃x2基4挺
53cm魚雷発射管x6門(艦首6門)
九五式魚雷x18本
搭載機 零式小型水上偵察機x1機
呉式1号4型射出機x1基
ソナー 九三式探信儀x1基
九三式水中聴音機x1基
行動期間:3ヶ月
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伊九型潜水艦(いきゅうがたせんすいかん)は、大日本帝国海軍潜水艦の艦級。巡潜甲型(じゅんせんこうがた)とも。伊号第九潜水艦から伊号第十一潜水艦までの三隻が建造された。1941年から翌年にかけて竣工した。また、改良したものに伊号第十二潜水艦伊十三型潜水艦がある。通商破壊などの任務に従事し、いずれも太平洋戦争で戦没した。伊号第十一潜水艦はオーストラリア海軍軽巡洋艦ホバート」を撃破している。

概要

無条約時代に突入した1937年(昭和12年)度の③計画により伊七型潜水艦(巡潜3型)の発展型として計画された(計画番号S35Ja)。同時期に乙型丙型と3種類の巡潜型潜水艦が計画されたがそのうちで潜水戦隊司令部設備を持ち、水上偵察機を搭載した最も大型の巡潜である。先の巡潜3型より更に大型の潜水艦となった。そのため主機は更に高出力のディーゼルが搭載され、計画速力は水上で23.5ノットに達した。航空艤装は先型と同様であるが、設置場所は艦の前方に移された。

本型は③計画で2隻(伊9、伊10)、④計画で1隻(伊11)が建造された。

計画では艦隊決戦において、遠くハワイ近海まで遠征し甲型を司令潜水艦として集団運用で敵艦隊を襲撃する予定であった。しかし太平洋戦争では潜水艦を集団運用する艦隊決戦は起きず、各潜水艦は個々に活躍した。大戦初期にはその航続力と搭載機を利用して各地の偵察任務に従事、また伊10はインド洋の通商破壊戦に参加し商船7隻を撃沈している。ガダルカナル島での戦い以降は輸送任務に当たることが多くなり、1943年(昭和18年)に伊9が、1944年(昭和19年)に入り残りの2隻も撃沈された。

伊10は撃沈隻数の順位で日本潜水艦第1位(14隻)にランクインしており、撃沈トン数の順位でも日本潜水艦第1位(81,553トン)にランクインしている。

1942年(昭和17年)のマル追計画では更に2隻の建造を計画したが戦時急造のための低出力の主機が搭載され伊号第十二潜水艦として完成。残りの1隻も同様の計画だったが建造中に晴嵐2機を積むように変更され伊号第十三潜水艦甲型改2)として完成した。ミッドウェー海戦後の改⑤計画でも6隻の建造が計画されたが起工した3隻は伊13と同様に改装され1隻竣工(伊号第十四潜水艦)、2隻が未成に終わった。残りの3隻は計画のみに終わったが計画番号S48と改められて、航空艤装を艦後部に置く予定だったと言われている。

潜水隊

3隻とも潜水隊には編入されなかった。伊9は竣工と同時に第六艦隊第1潜水戦隊付属となり、転属することのないまま戦没。伊10は竣工と同時に第六艦隊第2潜水戦隊に編入され、第六艦隊付属、第8潜水戦隊を経て第六艦隊付属となった後喪失。伊11は竣工と同時に第六艦隊第2潜水戦隊に編入され、1943年(昭和18年)9月15日に第1潜水戦隊付属となった後、1944年(昭和19年)1月11日に行方不明となった。行方不明となった後の1944年(昭和19年)1月15日からは第六艦隊直卒となっている。

同型艦

準同型艦

計画変更艦

脚注

  1. ^ データは『写真 日本の軍艦vol.12』より。『艦長たちの軍艦史』によると114名であるがこれは伊12のデータと混同している可能性がある。

参考文献

  • 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 第12巻 潜水艦』(光人社、1990年) ISBN 4-7698-0462-8
  • 外山操『艦長たちの軍艦史』(光人社、2005年) ISBN 4-7698-1246-9

関連項目

外部リンク

  • ウィキメディア・コモンズには、伊九型潜水艦に関するカテゴリがあります。