他阿 真円(たあ しんえん、本名:加藤 円住(かとう えんじゅう)、1919年〈大正8年〉6月10日 - 2021年12月9日)は、日本の僧、政治家。時宗の74世法主(遊行上人)、藤沢清浄光寺57世住職(藤沢上人)。岡崎市議会議員を通算4期、市議会議長を1期歴任した。
来歴
愛知県碧海郡矢作町(現・岡崎市矢作町馬場4番地)の誓願寺に生まれる。1932年(昭和7年)、出家得度。1941年(昭和16年)、大正大学専門部を卒業し、龍谷大学に編入。
軍部に徴集され東南アジアに派遣される。マラリアに感染し入院。1943年(昭和18年)、誓願寺住職に就任するも、再び徴集され、東南アジアに派遣される。陸軍少尉として輜重を担う。1945年、連合軍の捕虜となり、2年間の強制労働に従事。
1947年(昭和22年)5月、復員[1]。誓願寺住職に戻るも、肺結核となる。
1948年11月1日、境内に矢作保育園を設立し、園長となる[2][3]。
1955年4月30日に行われた岡崎市議会議員選挙の第7選挙区(旧矢作町)に立候補するも次点で落選。市議選には7回立候補し、4回当選した(選挙の記録は後述)。初当選は1963年(昭和38年)[4]。
1982年(昭和57年)6月から1983年(昭和58年)11月まで議長を務めた。
1983年(昭和58年)、岡崎市仏教会会長となる。1984年(昭和59年)の市議選で落選。以後、政治活動から身を引く。
1994年(平成6年)、勲五等双光旭日章を受章。1997年(平成9年)、足下位に就任。
2003年(平成15年)3月、真光寺住職、法主後継者となる[5]。 同年7月23日、第74世遊行上人に就任。
2019年(令和元年)6月11日、満100歳を祝う会が銀座アスター藤沢賓館で開かれた[6]。
2021年12月9日、S字結腸ガンのため岡崎市の病院で死去。102歳没[7]。
選挙の記録
執行日 |
選挙 |
当落 |
備考
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1955年4月30日 |
岡崎市議会議員選挙 |
落 |
第7選挙区(旧矢作町)から立候補
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1959年4月30日 |
岡崎市議会議員選挙 |
落 |
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1963年4月30日 |
岡崎市議会議員選挙 |
-- |
不出馬
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1967年4月28日 |
岡崎市議会議員選挙 |
当 |
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1971年4月25日 |
岡崎市議会議員選挙 |
当 |
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1975年4月27日 |
岡崎市議会議員選挙 |
当 |
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1979年4月22日 |
岡崎市議会議員選挙 |
-- |
不出馬
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1980年10月26日 |
岡崎市議会議員選挙 |
当 |
自主解散に伴う選挙
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1984年10月21日 |
岡崎市議会議員選挙 |
落 |
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エピソード
著作リスト
- 『捨ててこそ人生は開ける - 「苦」を「快」に変える力』 東洋経済新報社、2013年6月7日。
- 『生かされて生きる - 「捨ててこそ」の実践』 神奈川新聞社、2016年1月4日。
論文・記事等
脚注
参考文献
- 『捨ててこそ人生は開ける - 「苦」を「快」に変える力』 東洋経済新報社、2013年6月7日。