井阪 光暉(いさか みつあき、1855年7月20日(安政2年6月7日)[1] - 1920年(大正9年)2月9日[2])は、日本の政治家。衆議院議員(3期)。
経歴
大阪府出身[2]。大阪府会議員、同常置委員となる[2]。
1904年の第9回衆議院議員総選挙において大阪府郡部から無所属で立候補したが25票差で次点で落選した[3]。1908年の第10回衆議院議員総選挙では立憲政友会公認で立候補して当選した[4]。1912年の第11回衆議院議員総選挙でも再選[5]。1915年の第12回衆議院議員総選挙は不出馬。1917年の第13回衆議院議員総選挙では次点で落選[6]。しかし、7月に本出保太郎の死去により、繰上当選となった。3期目途中の1920年に死去した。
親族
脚注
- ^ 衆議院『第二十五回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1908年、3頁。
- ^ a b c 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』33頁。
- ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』46頁。
- ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』49頁。
- ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』54頁。
- ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』62頁。
参考文献
- 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。