井伊 直義(いい なおよし)は、戦国時代の武将。今川氏の家臣。遠江国引佐郡井伊谷城主・井伊直平の四男[1]。
人物
井伊氏は遠江の国人であるが、父直平と共に今川義元に仕えた。長兄直宗の嫡男で甥にあたる直盛に男子がいなかったため、もう一人の兄直満の子・直親を養嗣子にする約束をしたが、直親が家督相続することを嫌う家臣の反感を買った。井伊家家老・小野政直が今川義元に讒言したため[9]、天文13年(1544年)12月23日、兄・直満と共に義元のいる駿府に呼び出されて殺害された[1][10]。
脚注
注釈
- ^ 各種系図では実子か養子かの記載が無いが、龍潭寺が所蔵する『南渓過去帳』には「実田秀公居士 南渓父」と記されており、直平の法名(桂雲院殿西月顕祖大居士[7])とは異なるため、南渓は養子と推定されている[8]。
出典
参考文献