井上 正直(いのうえ まさなお)は、江戸時代後期の大名、老中。遠江国浜松藩主、上総国鶴舞藩主。官位は従四位下・河内守、侍従。鶴舞藩知事。浜松藩井上家10代。
略歴
天保8年(1837年)10月29日、上野国館林藩主(のち浜松藩主)井上正春の四男として誕生した。
奏者番、寺社奉行を経て、老中を都合2期務める。慶応2年(1866年)の第二次長州征討では第14代将軍・徳川家茂に従軍し上洛した。
明治元年(1868年)、徳川家達の駿府移封に伴い上総鶴舞に所領を移された。
年表
※明治5年までは旧暦。
- 1837年(天保8年) 10月29日、館林藩主・井上正春の子として生誕。
- 1847年(弘化4年)2月21日、正春死去、同年4月22日、藩主を襲封。
- 1851年(嘉永4年)12月16日、従五位下・河内守に叙任。
- 1858年(安政5年)10月9日、幕府の奏者番となる。
- 1861年(文久元年)3月8日、寺社奉行を兼帯。
- 1862年(文久2年)閏8月23日、幕府組織改革により、奏者番を廃止。寺社奉行は留任。10月9日、老中に異動。10月24日、従四位下に昇叙。河内守如元。12月28日、侍従に遷任。河内守の兼帯如元。
- 1863年(文久3年)2月12日、外国御用取扱を兼帯。
- 1864年(元治元年)7月8日、外国御用取扱を御役御免。7月12日、老中を御役御免。江戸城中の席次は従前通り、雁の間詰。
- 1865年(慶応元年)11月26日、老中に再任し、外国御用取扱を兼帯。
- 1866年(慶応2年)6月19日、勝手入用掛を兼帯。
- 1867年(慶応3年)5月12日、外国御用取扱並びに勝手入用掛の御役御免。6月17日、老中御役御免。江戸城中での席次は溜間詰となる。
- 1868年(明治元年) 戊辰戦争では朝廷に恭順。9月23日、上総鶴舞に転封。
- 1869年(明治2年)6月19日、版籍奉還し、鶴舞藩知事となる。
- 1871年(明治4年)7月14日、 廃藩置県により知藩事を免官。
- 1904年(明治37年)3月9日、死去。享年68。
系譜
父母
正室、継室
子女
参考文献
- 大日本近世史料「柳営補任」「増補 幕末明治重職補任 附諸藩一覧」東京大学出版会、「内閣文庫蔵・諸侯年表」東京堂出版など。
井上家 浜松藩2代藩主(1847年 - 1868年) |
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桜井松平家 |
- 松平忠頼1601-1609
- 殺害され、養子も認められず改易
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水野家 | |
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高力家 | |
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本庄松平家 | |
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大河内松平家 | |
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本庄松平家 | |
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水野家 | |
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井上家 | |
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