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この項目では、かつて矢倉沢往還(大山道)にあった宿場について説明しています。現在の川崎市高津区の地名については「二子 (川崎市)」をご覧ください。 |
二子宿(ふたごしゅく)は、武蔵国橘樹郡二子村(現在の神奈川県川崎市高津区二子)にあった矢倉沢往還(大山道)の宿場(継立場)の一つ。1669年(寛文9年)に、隣接する溝口村とともに継立村に指定され、毎月1日から20日までは溝口村が、21日から月末までは二子村が伝馬の継立を担当した。1681年(延宝9年)に久地村、諏訪河原村、久本村、末長村の4ヶ村が助郷村となった[1]。二子村は多摩川の右岸に位置し、かつては二子の渡しで多摩川を渡った[2]。上宿・中宿・下宿に分かれて軒を並べ、大水による川止めの時に泊まれる民家があった[3]。
名所・旧跡
二子宿
交通アクセス
隣の宿場
江戸(赤坂) - 二子宿・溝口宿 - 荏田宿[3][8]
ギャラリー
出典
- ^ 川崎市役所『川崎市史 通史編 2 近世』川崎市、1995年、319頁。
- ^ 川崎市役所『川崎市史 通史編 2 近世』川崎市、1995年、327-328頁。
- ^ a b c 鈴村茂「相模国矢倉沢往還」『県央史談第11号 県内旧街道史』1975年、50-52頁。
- ^ a b 『訪ねて楽しい大山街道』川崎市大山街道ふるさと館、2012年、18頁。
- ^ 『高津郷土資料集 第12篇 写真で読む今昔・矢倉沢往還』川崎市立高津図書館、1990年、6頁。
- ^ 川崎市教育委員会『川崎市民俗文化財緊急調査報告書 第三集 二子・溝口 宿場の民俗』川崎市教育委員会、1984年、87頁。
- ^ 川崎市役所『川崎市史 通史編 2 近世』川崎市、1995年、324-325頁。
- ^ 村上直 編『近世神奈川の研究』1975年、305頁。
参考文献
- 『訪ねて楽しい大山街道』川崎市大山街道ふるさと館、2012年。
- 川崎市役所『川崎市史 通史編 2 近世』川崎市、1995年。
関連項目
座標: 北緯35度36分21秒 東経139度37分7秒 / 北緯35.60583度 東経139.61861度 / 35.60583; 139.61861