中村 緑野(なかむら りょくや、明治元年9月7日(1868年10月22日) - 昭和24(1949)年10月24日は、大日本帝国陸軍の軍医。最終階級は陸軍軍医総監。
経歴
秋田藩出身。秋田医学校(甲種)卒[1]。医学校卒業後、入営までは公立秋田病院の外科医として勤務した[2]。
1893年(明治26年)に麻布の歩兵第3連隊に入り、翌年陸軍三等軍医(少尉相当官)に任官。1900年(明治33年)に一等軍医(大尉相当官)に昇任し陸軍大学校付、陸軍省医務局御用掛、陸軍士官学校教官など。1904年(明治37年)には日露戦争に従軍し、戦中、三等軍医正(少佐相当官)。1910年(明治43年)、二等軍医正(中佐相当官)。大正に入って一等軍医正(大佐相当官)に進み、第14師団軍医部長、陸軍省医務局衛生課長[2]。1920年(大正9年)陸軍軍医監(少将相当官)に昇任、第5師団軍医部長に補せられ、1925年(大正14年)には陸軍軍医総監(中将相当官)に昇任、関東軍軍医部長に補せられた。1927年(昭和2年)に予備役に入った[1]。
人間関係
脚注