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ファッションモデルの「中村悠斗」とは別人です。 |
中村 祐人(なかむら ゆうと、広東語イェール式:Jūng Chyūn Yauh Yàhn、普通話拼音:Zhōngcūn Yòurén、1987年1月23日 - )は、千葉県出身・日系中国人(香港永久性居民)の元プロサッカー選手。元香港代表。ポジションはフォワード、ミッドフィールダー[1]。
実父は2019年まで浦和レッズでGMを務めた中村修三。
来歴
父の影響で、5歳でサッカーを始める。柏レイソルジュニア6年時に全国少年サッカー大会8強。浦和ジュニアユースに進み、3年時に日本クラブユース選手権優勝。
西武台高校に進学し、浦和レッズユースに昇格。1、2年時には、日本クラブユース選手権準優勝を果たすが、浦和レッズユースでは、スーパーサブとしての起用が多かったため、高校2年生の9月に浦和ユースを退団し、西武台高校サッカー部に入部。規定により、6ヶ月公式戦への出場が認められなかったが、ラストチャンスで臨んだ第83回全国高等学校サッカー選手権大会に西武台の主力として出場を果たす。青学大時代は関東大学2部リーグで17得点を挙げ、得点王とベストイレブンに選出されるなど活躍した。
クラブ
2009年1月に香港リーグ1部のTSWペガサスに入団し、移籍4日後のデビュー戦(アウェイの傑志戦)でいきなりゴールを決めると安定した活躍を見せ、結局チーム2位となる公式戦12ゴールを記録してプロ1年目のシーズンを終えた。
2009年7月に当時ポルトガル2部のポルティモネンセからオファーを受けていることが判明。「欧州は夢だったので本当に嬉しい。2部から1部、そして欧州主要リーグにステップアップしたい」と語り、移籍に前向きだと報じられていたが、同年9月1日、ポルティモネンセと正式契約した事が明らかになった[2]。
2010年7月、ポルティモネンセから契約延長の打診を受けるも、古巣からの熱烈オファーを受け、出場機会を優先して香港リーグ1部のTSWペガサスに復帰するも、2010年11月に退団
[3]。
2011年6月に香港リーグ1部の公民入団が決定。2014年に南華足球隊に移籍。2016年に和富大埔へ移籍。
2018年、傑志に移籍。2019年9月、和富大埔に期限付きで移籍[4]。
2020年6月、理文足球会に完全移籍で加入[5]。2023年6月に現役引退と香港を去ることを自身のSNSを通じて発表した[6]。
代表
2018年10月、中国国籍を取得し香港代表に選出され[7]、10月16日に行われた親善試合・インドネシア戦で先発出場し代表デビューを果たした[8]。
エピソード
- TSWペガサス時代には毎日のように凍檸茶(ドンレンチャ・いわゆるアイスレモンティー)を飲んでいた事から、当時チームメイトだった岡野雅行にブログ内で「ドンレンチャ祐人」などと呼ばれていた。
所属クラブ
個人成績
国内大会個人成績 |
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ |
リーグ戦 |
リーグ杯 | オープン杯 |
期間通算 |
出場 | 得点 |
出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
出場 | 得点 |
香港
| リーグ戦 |
リーグ杯 | FA杯
|
期間通算
|
2008-09 |
ペガサス |
30 |
香港1部 |
12 |
7 |
4 |
4 |
4 |
1 |
20 |
12
|
ポルトガル
| リーグ戦 |
リーグ杯 | ポルトガル杯
|
期間通算
|
2009-10 |
ポルティモネンセ |
14 |
ポルトガル2部 |
2 |
0 |
1 |
0 |
- |
- |
3 |
0
|
香港
| リーグ戦 |
リーグ杯 | FA杯
|
期間通算
|
2010-11 |
ペガサス |
7 |
香港1部 |
4 |
1 |
1 |
0 |
0 |
0 |
5 |
1
|
2011-12 |
公民 |
14 |
18 |
5 |
2 |
0 |
1 |
0 |
21 |
5
|
2012-13 |
10 |
17 |
6 |
5 |
2 |
1 |
0 |
23 |
8
|
2013-14 |
17 |
6 |
2 |
0 |
1 |
0 |
20 |
6
|
2014-15 |
サウスチャイナ |
14 |
14 |
5 |
2 |
2 |
2 |
0 |
18 |
7
|
通算 |
香港 |
1部
|
82 |
30 |
16 |
8 |
9 |
1 |
107 |
39
|
ポルトガル |
2部
|
2 |
0 |
1 |
0 |
0 |
0 |
3 |
0
|
総通算
|
84 |
30 |
17 |
8 |
9 |
1 |
110 |
39
|
脚注
関連項目
外部リンク