中山 慶親(なかやま よしちか)は、室町時代から江戸時代初期にかけての日本の公卿。中山家15代当主。
生涯
中山親綱の長男として誕生。天正4年11月28日(1576年12月18日)、元服し、禁色宣下を受ける。同17年(1589年)、参議となり公卿入りを果たす。
元和4年(1618年)、中風で薨去した。享年53。法号は西照院凉月向空[1]。
系譜
官歴
脚注
- ^ 『系図纂要』第六冊(p.550)。『公卿補任』後水尾天皇元和四年条には「法名向空。」、「醍醐寺過去帳」(『醍醐寺文書』第118函5号)には「西照院正二品」とある。
- ^ 『寛永諸家系図伝』有馬則頼の女子の「中山中将室」、の中山中将は慶親のこと。(参考文献中の10頁目に記載)
- ^ a b 『系図纂要』第六冊(pp.550-551)。
- ^ 「醍醐寺過去帳」(前掲)には、そのうちの一人として正眼院実庭寿真大姉という戒名の女性(「予妹」)が一人おり、慶長17年7月17日(1640年9月2日)に亡くなっている。
参考文献