上杉義枝

 
上杉義枝
時代 江戸時代中期
生誕 享保5年(1720年
死没 寛保2年9月11日1742年10月9日
別名 熊之助、中務、通称:数馬
幕府 江戸幕府 高家旗本
主君 徳川吉宗
氏族 吉田伊達氏上条上杉家
父母 伊達村豊、滝氏
上杉知義
兄弟 伊達村澄伊達村信義枝伊達成房
伊達徳行久徳成朝恒川久定
伊達成要荻野朝周室、戸沢正諶婚約者
上杉知義長女
義寿
特記
事項
上杉房実上杉房定?)の娘である積翠院雲孫
伊達政宗の長男・秀宗の男系子孫(曾孫)
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上杉 義枝(うえすぎ よしえだ)は、江戸時代中期の高家旗本

略歴

享保5年(1720年)、伊予国吉田藩3代藩主・伊達村豊の三男[注釈 1]として誕生。上杉知義の婿養子となった。

享保17年(1732年3月28日、8代将軍徳川吉宗御目見した。寛保元年(1741年7月20日、養父の隠居により家督を相続し、表高家に列した。生涯、高家職に登用されることはなかった。

寛保2年(1742年9月11日、死去。享年23。跡を長男の義寿が継いだ。

系譜

脚注

注釈

  1. ^ 実際は六男。

出典