三郷村(さんごうむら)は、日本の領有下において樺太に存在した村(指定町村)。法的には1949年6月1日、国家行政組織法の施行をもって廃止した。
当該地域の領有権に関する詳細は樺太の項目を参照。現在はロシア連邦がサハリン州タラナイ(ru:Таранай)として実効支配している。
概要
- 南は亜庭湾に面していた。
- 多蘭内川の28キロメートル上流に伐採した丸太を押し流す堰堤があった。[3]
- 幌内保川の上流に滝があった。[3]
歴史
村内の地名
- 多蘭内(たらんない)
- 上多蘭内(かみたらんない)
- 下多蘭内(しもたらんない)
- 利良(りら)
- 赤川(あかがわ)
- 幌内保(ほろないぼ)
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- 池月浜(いけづきはま)
- 南池月(みなみいけづき)
- 渋内(しぶない)
- 末広沢(すえひろざわ)
- 初見沢(はつみざわ)
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([4])
地域
教育
以下の学校一覧は1945年(昭和20年)4月1日現在のもの[5]。
- 樺太公立利良国民学校
- 樺太公立多蘭内国民学校
- 樺太公立上多蘭内国民学校
- 樺太公立幌内保国民学校
脚注
- ^ 樺太年鑑 昭和8年(樺太敷香時報社・著、樺太敷香時報社 1933年)に「面積二六・九九方里」とあり。
- ^ 官報第六百九十八號(内閣印刷局、1929年 p.10)より。
- ^ a b c d e f 三郷村郷土誌(根津友一・著、1932年 p.10)より。
- ^ 南樺太:概要・地名解・史実(西村いわお・著、高速印刷センター内出版部 1994年)より。
- ^ 北海道立教育研究所『北海道教育史 地方編2』(1957年)p. 1682
関連項目