三橋 一夫(みつはし かずお、1908年8月27日 - 1995年12月14日)は、日本の作家、健康研究家[1]。
兵庫県神戸市生まれ。本名・敏夫。父親の三橋信三は三菱倉庫に勤務で、後、同社社長、三菱本社理事などを歴任[2]。父親の影響で武術をはじめるが、一方で文学少年でもあった[2]。
慶應義塾大学経済学部卒。在学中にヨーロッパへの留学経験がある。1940年ごろから同人誌『三田文学』、『文芸世紀』などに創作を発表し、終戦後の1948年には林房雄の紹介で『新青年』に「腹話術師」が掲載され、商業誌にデビューした。「不思議小説」と銘打った奇妙な作風で好評を博し、同誌の常連執筆者となる[3]。『新青年』1949年6月号から同誌休刊の1950年7月号まで、横溝正史の命名による「まぼろし部落」のタイトルで不思議小説を毎号連載した[3]。1952年度上半期には自伝的長編小説『天国は盃の中に』が第27回直木賞候補に上がった[4]。
不思議小説を断続的に発表する一方で、1950年代の半ばからは明朗小説 (ユーモア小説) を数多く手がけたが、1966年に創作の筆を折り、1970年ごろからは自論に基づいた健康法に関する著作に専念した[3]。のちに玄道輝行会会長、身心法学研究所長、光満体育研究所所長を務めるに至った。
三橋家は武術の家柄で、曽祖父の三橋虎蔵は幕府講武所の剣術師範をつとめた[2]。三橋虎三の祖父が三橋成方。
剣客の伊庭秀業と、その息子の伊庭八郎、伊庭想太郎も親族となる。