三宮 満治(さんのみや みつじ、1892年(明治25年)6月18日 - 1950年(昭和25年)7月10日)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。功四級。旧姓は三宅。
経歴
1892年(明治25年)に岩手県で生まれた。陸軍士官学校第28期、陸軍大学校第40期卒業。欧米出張を経て、1937年(昭和12年)に陸軍大学校教官に就任[3]。1938年(昭和13年)に陸軍歩兵大佐に進級、第2野戦鉄道司令部参謀長に転じ、日中戦争に出動。1939年(昭和14年)に歩兵第27連隊長、1940年(昭和15年)に第1師団参謀長を歴任。
1941年(昭和16年)に陸軍少将に進級し、1942年(昭和17年)に第1鉄道輸送司令官に転じる。1943年(昭和18年)に豊予要塞司令官を経て、1944年(昭和19年)に歩兵第85旅団長に就任し、中国戦線に復帰。京漢線占領地区の警備に当たり、老河口作戦に参加した。1945年(昭和20年)9月13日に北支那特別警備隊司令官に就任した[注釈 1]。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[6]。
脚注
注釈
出典
- ^ 「昭和12年7月」 アジア歴史資料センター Ref.C15120336800
- ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」138頁。
参考文献