嫡男 - 太郎(1863-1938)。太郎の友人だった南方熊楠の日記や双方の書簡によると、太郎は父の後妻を誘惑したという理由で1885年に勘当同然に米国へ留学させられ、ミシガン大学法科に入学、下宿していた同大学医学部助手ブルワー(Francis W. Brewer、ポルトガル出身)の娘アグネスと懇ろとなり、1890年1月に長女・琴子、翌1891年3月に長男・東一を出産、同年5月に妻子を連れて帰国した[3]。同年7月1日に日本で正式に結婚するが、これは華族の国際結婚の最初となった[4]。1896年に太郎は廃嫡となり、会田太郎に改名、大阪に転居した[3]。