三好 一(みよし はじめ、明治9年(1876年)10月28日 - 昭和34年(1959年)10月1日)は、大日本帝国陸軍の軍人。陸軍中将[1]。大分県士族[1]。大分市長。薩摩琵琶修練会会長。従三位勲二等功三級。
人物
大分県玖珠郡飯田村(現九重町)出身。大分県士族三好成の長男[1]。大正4年(1915年)家督を相続す[1]。
大日本帝国陸軍の軍人として、第8師団長等を務める。終戦直前の昭和20年(1945年)4月に大分市長に任じられるが、終戦直後の同年10月に辞任している。
薩摩琵琶を好み、道場である薩摩琵琶修練会の会長を務めていた[2]。
略歴
栄典
- 位階
親族
長女千代は、最高検察庁検事橋本乾三の妻。実業家橋本實、ジャーナリスト橋本明、外交官橋本宏は、いずれも孫(千代の子)に当たる。
戦艦陸奥爆沈時の艦長三好輝彦は、弟に当たる。
脚注
- ^ a b c d 『人事興信録. 第8版』(昭和3年)ミ三八
- ^ 『琵琶新聞』終刊号1944年6月
- ^ 総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、84頁。NDLJP:1276156。
- ^ 『官報』第4289号「叙任及辞令」1897年10月16日。
- ^ 『官報』第4948号「叙任及辞令」1899年12月27日。
- ^ 『官報』第3035号「叙任及辞令」1922年9月12日。
- ^ 『官報』第1431号「叙任及辞令」1931年10月5日。
参考文献
- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
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1963年3月10日合併 |
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合併後 | |
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