『三十二番職人歌合』(さんじゅうにばんしょくにんうたあわせ)は、日本の中世(12世紀 - 16世紀)期に編纂された4種5作の職人歌合の一つである[1]。「三十六歌仙」をテーマに13世紀につくられた歌合『三十六歌仙絵巻』の描法・構図を踏襲して、15世紀末(1494年)、当時台頭し始めた「職人」をテーマに、32の職種をピックアップして構成された[1][2]。形態は絵巻物[2]。
略歴・概要
1214年(建保2年)につくられた『東北院職人歌合』(曼殊院旧蔵本10種、群書類従本24種)、1261年(文応2年、弘長元年)につくられた『鶴岡放生会職人歌合』(24職種)に次ぐ3つめの職人歌合である[1][2]。1494年(明応3年2月)、後土御門天皇(1442年 - 1500年)の生母で後花園天皇の准后、嘉楽門院信子(大炊御門信子、1411年 - 1488年)の七回忌を契機に作成されたとされる[1]。「いやしき身なる者」が歌を番えるという形式をもつ[3]。「いやしき身なる者」とは、絵解や猿牽(猿飼)、鉦叩、胸叩といった門付・大道芸を行う芸能者、桂の女(桂女)や樒売、菜売といった行商人がそれであり、これらの職能は、経済流通・交通の変化・発展や、芸能の発展、民間仏教の布教といった時代背景をもって出現したものである[3]。
歌数64首、職種32種、「花」「述懐」を題とした狂歌的な和歌による各16番合計32番の歌合として構成されている[1]。略画の描写も動的であり、3世紀近く先行する2つの職人歌合に比較すると、独自な発展がみられる[1]。歌合には「判者」が欠かせないが、これを本作では「勧進聖」としている[1]。
1793年(寛政5年) - 1819年(文政2年)に編纂された『群書類従』に取り上げられた(1207番)。1778年(安永7年)の模本等が現存する。国立国会図書館所蔵の『群書類従 502』では、テキストのみで略画が省略されている[4]。
一覧
本作の歌合の組み合わせ、および登場する職能の一覧である[3]。
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク