一柳 頼寿(ひとつやなぎ よりかず[1])は、江戸時代中期から後期の大名。伊予国小松藩5代藩主。
生涯
享保18年(1733年)、第4代藩主・一柳頼邦の三男として生まれる[1]。母は玉林院。
三男だったが、長兄と次兄の早世により世子となる[1]。延享元年(1744年)の父の死去により12歳で跡を継いだ[1]。寛延元年(1748年)閏10月、将軍徳川家重に初謁[1]、同年12月山城守に叙任[1]。寛延2年(1749年)に初めて領国に入った[1]。宝暦5年、美濃守に遷る[1]。明和3年(1766年)5月、駿府加番を務める。
藩政においては竹鼻正脩を登用し、世子である頼欽の侍講に任じている[4]。
安永8年(1779年)8月7日、次男・頼欽に家督を譲って隠居[1]。官位は安永8年12月に上総介、天明2年(1782年)に但馬守にあらたまっている[1]。
天明4年(1784年)12月13日(16日とも[1])に江戸で死去した。享年52[1]。
系譜
- 父:一柳頼邦(1696-1744)
- 母:玉林院
- 正室:なし
- 側室:堅性院
- 生母不明の子女
- 生母不明の子女
脚注
注釈
出典
参考文献
外部リンク
一柳氏 小松藩5代藩主 (1744年 - 1784年) |
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