ヴォルガスト (Wolgast)はドイツ連邦共和国 の都市。メクレンブルク=フォアポンメルン州 のオストフォアポンメルン郡に属する。ペーネシュトロム川に面しており、跳開橋 を通して、道路と鉄道で行き来できるウーゼドム島 と向かい合っている。
歴史
聖ペトリ教会 (2013年)
現代ヴォルガストの先駆けは、ヴェンド人 の拠点、ホロガスト砦であった。1123年 、ホロガストはポメラニア公 ヴァルティスラフ1世 に明け渡された。1128年 、ヴェンド人はバンベルク 司教オットーに洗礼を施され、オットーは現地の神殿を破壊して、そこに聖ペトリ教会を建てた。まもなく、ドイツの入植者が発展しつつある町に移り住んだ。1282年 、ヴァルティスラフ3世により、リューベック法を与えられた。
宮殿(1652年 )
ヴォルガストは、グライフェン家 の支配が終わる1637年まで、1285年からポメラニア公の居住地であり、公国の長年の分裂における、ポメラニア=ヴォルガスト公国の首都であった。居住用の宮殿は、ある島にルネサンス様式で建てられた。それゆえその島は、宮殿島と呼ばれている。フィリップ・ユリウス公が跡継ぎを残さず死んだとき、ポメラニア=ヴォルガスト公爵の系譜は途絶えた。
三十年戦争 の間に、スウェーデン王国 はヴォルガストを占領し、1815年 までスウェーデン領ポメラニアの一部として保持した。大北方戦争 のおり、アルトナ でのスウェーデンの放火に対する報復として、1713年 にロシア・ツァーリ国 軍によって町は焼き払われた。1つの教会と4つの礼拝堂、もう4つの建築物だけは火災を免れた。したがって、旧市街の建物は18〜19世紀のものであり、町役場は火災の後、バロック様式で再建された。
1815年のポメラニア からのスウェーデンの撤退後、町はプロイセン王国 のポンメルン州に組み入れられた。宮殿の最後の残骸は、1849年 に運び出された。ヴォルガストは、穀物取引のための港として19世紀を通じて繁栄した。
1994年 6月12日 、ヴォルガストは郡役所所在地としての地位を失い、ヴォルガスト郡はオストフォアポンメルン郡と合併した。2011年には、フォアポンメルン=グライフスヴァルト郡の一部となった。
出身者
引用
参考文献
Schmidt, Roderich (2009). Das historische Pommern . Cologne
Dubilski, Petra (2003) (German). Die Ostseeküste : Mecklenburg-Vorpommern (2 ed.). DuMont. ISBN 3-7701-5926-8
Wolgast, Eike (1995) (German). Hochstift und Reformation: Studien zur Geschichte der Reichskirche zwischen 1517 und 1648 . F. Steiner. ISBN 3-515-06526-1
Berger, Christine (2008) (German). Mecklenburg-Vorpommern (7 ed.). Baedeker. ISBN 978-3-8297-1062-6
Rathaus Wolgast (旧市庁舎)