フリードリヒ・ヴィルヘルム・フォークト(Friedrich Wilhelm Voigt, 1849年2月13日 - 1922年1月3日)は、ドイツの靴職人、詐欺師。彼が起こした詐欺事件からケーペニックの大尉(Hauptmann von Köpenick)の通称でも知られる。1906年10月16日、古着屋で購入した陸軍大尉の制服を着用したフォークトは、本物の陸軍部隊を率いてベルリン郊外・ケーペニック(現在はベルリンに編入)の市庁舎を襲撃、市長らを逮捕した上、4,000マルクを盗み出した。なお日本語では苗字は「フォイクト」と表記されることもある。
部隊が市庁舎に到着すると、フォークトは「職員および訪問者の出入りを完全に封鎖せよ」と命じた。そして、庁舎内に乗り込んだフォークトは「皇帝陛下の名の下に」(im Namen Seiner Majestät)、上級秘書ローゼンクランツと市長ゲオルク・ランガーハンス(ドイツ語版)の逮捕を宣言し、彼らを執務室に軟禁した。彼はまた庁舎に派遣されていた憲兵(Gendarmerie)の指揮官を呼びつけ、秩序の維持と任務の遂行のために一帯の閉鎖を行い、また自分たちの邪魔をしないようにと命じている。さらに帳簿係を呼びつけると、市の財政について確認しなければならない事項があるので帳簿を提出するようにと命じた。その後、市の予算と帳簿との照会を行い、予算のうち3557.45マルクを不正な資金として「押収」したのである[1]。帳簿係から受領証への署名を求められると、フォークトは名を「フォン・マールツァーン」(von Malzahn)、肩書きを「第1近衛連隊大尉」(H.i.1.G.R.,「Hauptmann im 1.Garde-Regiment」の略)と記入した。フォン・マールツァーンは彼が最後に収監されていた刑務所の所長の名前だった。
しかし、彼はこの計画をかつて刑務所の同房者に語っていたため、事件から10日後の朝には逮捕されることになる。ベルリンの第2地方裁判所 (Landgericht II) では、彼の「制服の不正着用、公の秩序に対する犯罪、監禁、詐欺、重大な文書偽造」(wegen unbefugten Tragens einer Uniform, Vergehens gegen die öffentliche Ordnung, Freiheitsberaubung, Betruges und schwerer Urkundenfälschung“)に対して懲役4年の判決が言い渡された[2]。しかし1908年8月16日には皇帝ヴィルヘルム2世の勅命に基づく特赦を受け、釈放された。
彼がリクスドルフに戻った時には押し寄せる群衆を整理するべく治安部隊の投入さえ行われ、2日間のうちに17人が治安妨害(Ruhestörung)および類似の罪で逮捕されている。さらに釈放から4日後にはウンター・デン・リンデンにある蝋人形館カスタンス・パプノティクム(ドイツ語版)にて自身の蝋人形の除幕式に参加しスピーチやサイン入り写真の販売などを行うと宣言したものの、当局の指示により断念している。その後はドイツ各地を巡り、ホールやサーカスなどで「ケーペニックの大尉」を演じてサイン入り写真などを販売した。また、かつて彼の「部下」となった近衛兵らがこうした催し物に参加して、共に記念撮影を行うこともあった。1909年には自叙伝『Wie ich Hauptmann von Köpenick wurde. Mein Lebensbild / Von Wilhelm Voigt, genannt Hauptmann von Köpenick.』(「いかにして私はケーペニックの大尉になったのか。我が人生/著:ヴィルヘルム・フォークト、またの名をケーペニックの大尉」)を出版した。
1961年、ザラザーニ(ドイツ語版)のサーカス団がヴィルヘルム・フォークトの墓地の権利を購入すると共に新しい墓碑を送った。1975年には市当局に権利が返還され、墓碑が作りなおされた。新しい墓碑には「HAUPTMANN VON KOEPENICK」と大きく掘られ、その下に小さく「Wilhelm Voigt 1850–1922」と書かれている。なお、彼の生年は1850年ではなく1849年である。
事件直後から、またフォークト逮捕後も引き続き、ベルリンの劇場ではケーペニック事件を題材とした風刺劇が上演された。事件から3日後の10月19日付の社民党機関紙『前進(ドイツ語版)』紙には、既にスケッチ・コメディーとしてケーペニック事件が演じられている旨を報じる記事がある。メトロポール劇場(ドイツ語版)でも毎日のレヴューの1つとして演じられた。『ケーペニックのシャーロック・ホームズ』(Sherlock Holmes in Köpenick) と題された喜劇も作られた。
最初の舞台劇『Der Hauptmann von Köpenick』は、劇作家ハンス・フォン・ラファレンツ (Hans von Lavarenz) によって1906年に脚本が書かれ、ベルリンの4劇場で初演された。その他にマインツ、トリエステ、インスブルックなどでもケーペニックの大尉を題材とした喜劇が上演され、1912年にはライプツィヒでも別の舞台劇が作られている。
1908年、フォークトの釈放に合わせてキールのミュージックホールで『Der Hauptmann von Köpenick』と題した催し物が開かれた。フォークトは自らも出演しようと考えキールへ向かったものの、群衆の混乱を恐れた当局によってホールへの入場が阻止されてしまった。
ミステリー作家のハンス・ヒャン(ドイツ語版)は、1906年に『Der Hauptmann von Köpenick, eine schaurig-schöne Geschichte vom beschränkten Untertanenverstande』(=ケーペニックの大尉。臣民の偏狭な理解という、ひどく素敵な物語)と題した詩集を発表している。また1909年に発表されたフォークトの回顧録には序文を寄せている。
1930年、作家ヴィルヘルム・シェーファー(ドイツ語版)は、フォークトの半生を描いた小説『Der Hauptmann von Köpenick』を発表した。同年、カール・ツックマイヤーも『Der Hauptmann von Köpenick. Ein deutsches Märchen in drei Akten』(=ケーペニックの大尉。三幕のドイツ・メルヘン)と題する3編の連続悲喜劇を発表した。ツックマイヤーの喜劇は1931年3月5日にベルリンのドイツ劇場(ドイツ語版)で初演された。同年、リヒャルト・オスヴァルトが新しい長編映画を発表している。アルベルト・バッサーマンはアメリカへ亡命した後にオスヴァルトの映画をリメイクした『I Was a Criminal』を発表している。これはケーペニック事件を題材にした最初の英語作品であった。ヘルムート・コイトナー(ドイツ語版)は1945年にラジオドラマを製作している。そのほかにもツックマイヤーの演劇を原作とする映画が何本か製作された。1971年にはツックマイヤーの演劇がジョン・モーティマーによって『The Captain of Koepenick』として英訳された。
1932年にも『Der Hauptmann von Köpenick』と題したコメディ映画が製作されているが、フィルムが現存せず詳細は不明である。
^Vgl. Stig Förster: Militär und staatsbürgerliche Partizipation. Die allgemeine Wehrpflicht im Deutschen Kaiserreich 1871–1914. In: Roland G. Foerster (Hg.): Die Wehrpflicht. Entstehung, Erscheinungsformen und politisch-militärische Wirkung. München, 1994. S. 58
Annette Deeken: Der Hauptmann von Köpenick. In: Bernd Heller, Matthias Steinle (Hg.): Filmgenres – Komödie. Stuttgart: Reclam, 2005, S.280–285
Wilhelm Ruprecht Frieling: Der Hauptmann von Köpenick. Die wahre Geschichte des Wilhelm Voigt. Mit dem Originalurteil des Berliner Landgerichts. Internet-Buchverlag, Berlin 2011, ISBN 978-3-941286-69-6
Wilhelm Große: Erläuterungen zu Carl Zuckmayer: Der Hauptmann von Köpenick, Textanalyse und Interpretation (Bd. 150), C. Bange Verlag, Hollfeld 2012, ISBN 978-3-8044-1956-8
Robert von Hippel: Der „Hauptmann von Köpenick“ und die Aufenthaltsbeschränkungen bestrafter Personen. In: Deutsche Juristen-Zeitung. Jg. 11 (1906), Bd. 11, S. 1303/1304 (online hier veröffentlicht)
Marc Jeck: Auf allerhöchsten Befehl. Kein deutsches Märchen. Das wahre Leben. In: Die Zeit, Nr. 42 vom 12. Oktober 2006, S. 104 (online hier abrufbar)
Winfried Löschburg: Ohne Glanz und Gloria – Die Geschichte des Hauptmanns von Köpenick. Ullstein, 1998. ISBN 3-548-35768-7.
Philipp Müller: Auf der Suche nach dem Täter. Die öffentliche Dramatisierung von Verbrechen im Berlin des Kaissereichs, (Campus: Historische Studien; 40) Frankfurt am Main 2005.
Matthias Niedzwicki: Das Grundrecht auf Freizügigkeit nach Art. 11 GG – Zugleich ein Beitrag zum 100. Jahrestag der Köpenickiade des Hauptmanns von Köpenick. In: Verwaltungsblätter für Baden-Württemberg (10/2006), Zeitschrift für öffentliches Recht und öffentliche Verwaltung, S. 384 ff.
Henning Rosenau: Der Hauptmann von Köpenick ein Hangtäter? – Studie zu einem Urteil des Königlichen Landgerichts II in Berlin und einem Schauspiel von Carl Zuckmayer. In: ZIS 2010, S. 284 ff.; enthält im Anhang den Abdruck des Urteils vom 1. Dezember 1906 (online hier (PDF; 199 kB) abrufbar)
Claus-Dieter Sprink (Red.): Unterordnen – jewiß! Aber unter wat drunter?! Vom Schuster Friedrich Wilhelm Voigt zum „Hauptmann von Köpenick“. Ausstellung im Rathaus Köpenick, Festschrift zum 90. Jahrestag der Köpenickiade am 16. Oktober 1996. Köpenick, 1996
Wilhelm Voigt: Wie ich Hauptmann von Köpenick wurde: mein Lebensbild. Verschiedene Verlage 1909, 1931, 1986, 2006. ISBN 3-935843-66-6 (Text auch hier online veröffentlicht)