オドラ川(オーデル川)流域図、ヴァルタ川は右支流
ヴァルタ川 (ポーランド語 :Warta [ˈvarta] ( 音声ファイル ) 、ドイツ語 : Warthe [ˈvaʁtə] ( 音声ファイル ) 、ラテン語:Varta)は、ポーランド の中部から西部にかけて流れる河川 でオドラ川 (オーデル川)最大の支流である。合流点まではオドラ川本流よりも長い。ドイツ語ではヴァルテ川 と呼ばれる。ポズナン やゴジュフ・ヴィエルコポルスキ などポーランド西部の主要都市を流れる。
長さは約808km、流域面積は54,529平方kmにおよぶ。ヴィスワ川 ・オドラ川に次ぐポーランド第3の大河。シロンスク県 (上シレジア )中部のザヴィエルチェ (英語版 ) (Zawiercie)付近に発し、シロンスク県とウッチ県 の県境を西へ流れた後にウッチ県西部を北へ流れ、ヴィエルコポルスカ県 に入り西へと向きを変え、低地を何度か北へ蛇行しながら、ルブシュ県 を経てコストシン・ナド・オドロン (Kostrzyn nad Odrą、独:キュストリン)で西からオドラ川に合流する。
地理
流域は最終氷期 には北欧を覆う氷床 の縁となった地域であり、氷床の辺縁に沿って川が流れた跡がウーアシュトロームタール (英語版 ) (Urstromtal)という大きな渓谷状の地形となり、氷床の大きさが変わるたびに東西方向に大きなウーアシュトロームタールが残った。支流ノテチ川 (Noteć、独:ネッツェ川)はそのうち一番北にあるウーアシュトロームタールに沿って西へと走っている。その他、氷河が残した地形にはモレーン や無数の湖 がある。
主な支流には右岸側(北側)にはノテチ川 、左岸側(南側)にはプロスナ川 (英語版 ) (Prosna)、オブラ川 (英語版 ) (Obra)がある。またポズナンの上流付近からオドラ川中流へ結ぶ運河があるほか、ノテチ川上流のブィドゴシュチュ運河 (英語版 ) でヴィスワ川下流の大都市ブィドゴシュチュ (ビドゴシュチ)と結ばれており、オドラ川水系とヴィスワ川水系を結ぶ内陸水運の重要な路線の役割を果たす。
流域の主な都市には、上流のシロンスク県ではザヴィエルチェ (英語版 ) やシレジア の鉄鋼都市チェンストホヴァ 、ウッチ県のシェラツ (英語版 ) (Sieradz)、ヴィエルコポルスカ県のコウォ (Koło)、コニン (英語版 ) (Konin)、シレーム (Śrem)、県都ポズナン 、ルブシュ県のスクフィエジナ (英語版 ) (Skwierzyna、独:シュヴェリーン・アン・デア・ヴァルテ)、県都ゴジュフ・ヴィエルコポルスキ (Gorzów Wielkopolski、独:ランツベルク・アン・デア・ヴァルテ)、コストシン・ナド・オドロン (Kostrzyn nad Odrą、独:キュストリン)など。
オドラ川に注ぐ直前の一帯の湿地 、草地 、ヤナギ の林、水路 、三日月湖 、池 などからなるヴァルタ河口国立公園 (英語版 ) は1984年にラムサール条約 に登録された。一帯はガン 、カモ 、ハクチョウ 、ツル の重要な繁殖地である[ 1] 。
歴史
ポズナンを流れるヴァルタ川
コストシン付近のヴァルタ川
中世前期には流域に多くのスラブ系部族が住み、その中からポズナンを首都にピャスト朝 が勃興しポーランド公国を名乗り、中欧から東欧にかけて大国を築き上げた。1025年 にはポーランド王国 となり直後に首都もクラクフ に移ったが、古都ポズナンや大司教座の街グニェズノ のあるヴァルタ川流域はポーランド揺籃の地と言える。ポズナンのあるヴィエルコポルスカ県の名は、「大ポーランド」を意味するこの一帯の歴史的地名にちなむ。
中世にはドイツ人の東方植民 が進み、下流はブランデンブルク選帝侯 の領土となり、ポズナン(ポーゼン)などの都市をはじめ農村地帯にもドイツ人が浸透した。この時期もヴァルタ川流域はドイツ人の国(プロイセン王国 など)に対するポーランドの西の国境地帯であったが、1793年 に第2次ポーランド分割 が行われるとヴァルタ川流域はプロイセン王国の「南プロイセン 」となった。1807年 、ナポレオン戦争 でプロイセンが敗れるとワルシャワ公国 の領土となったが、1815年 のウィーン会議 後はポズナン大公国 として再度プロイセンの支配下に入り、1848年 にはプロイセンに併合されポーゼン州 となった。
第一次世界大戦 後にポーランドが独立するとポーランド領のポズナン県やウッチ県などになったが、1939年 のポーランド侵攻 以後はナチス・ドイツ に併合され、ポーゼン帝国大管区、次いでヴァルテ川の名にちなむヴァルテラント帝国大管区 (ライヒスガウ・ヴァルテラント)が置かれ、この地のポーランド人住民の相当数がポーランド総督府 への強制移住や強制労働で離散させられた。第二次世界大戦 後にはヴァルタ川流域はポーランド領に戻り、下流域の長年ブランデンブルクに属していた地域も新たにポーランド領となり、当地に住んでいたドイツ人はオーデル・ナイセ線 の西へと追放された(ドイツ人追放 )。
脚注
外部リンク