ロベール1世 (ロベール1せい、フランス語 :Robert I, 1201年 - 1228年 )またはロベール・ド・クルトネー (Robert de Courtenay)は、ラテン帝国 皇帝 (在位:1221年 - 1228年)。ラテン皇帝ピエール2世・ド・クルトネー とヨランド・ド・フランドル の息子。
生涯
ピエール2世・ド・クルトネーが死去したことがフランス で知られるようになったとき、長男ナミュール侯フィリップはラテン皇帝位の継承を放棄し、ラテン皇帝位を手に入れようとしていた弟ロベールを支持した。ラテン帝国に向かう途中、ロベールは1220年秋から1221年初めまでハンガリー に滞在し、義兄アンドラーシュ2世 のもてなしをうけた。ヴィラール・ド・オヌクール もロベールに随行していた可能性がある。ロベールとアンドラーシュ2世は、エピロス専制侯 テオドロス1世コムネノス・ドゥーカス に対抗するため同盟を結んだ。アンドラーシュ2世とその継承者ベーラ は、ブルガリア との国境までロベールと同行した。そこでロベールはアンドラーシュ2世の娘アンナ・マーリアとブルガリア皇帝イヴァン・アセン2世 との結婚の媒をした。
1221年3月25日にラテン皇帝として即位したが、最初に1224年にテッサロニキをエピロス専制侯テオドロス1世に奪われた。ローマ教皇 ホノリウス3世 はカトリックのラテン帝国の状況を憂慮し、テッサロニキ防衛のための十字軍の招集を呼びかけたが、反応はなかった。同年、ポイマネノンの戦いにおいてロベールはヨハネス・ドゥーカス・ヴァタツェス に敗れた。
この敗北の後、ロベールはニカイア帝国 皇帝となったヨハネス3世ドゥーカス・ヴァタツェス と和解することを余儀なくされた。ロベールは先の皇帝テオドロス1世ラスカリス とアンナ・アンゲリナ の娘エウドキア と結婚することを約束した。すでに以前にロベールはエウドキアと婚約していた。最終的に交渉が失敗した背景は不明であるが、ゲオルギオス・アクロポリテス (英語版 ) によると、コンスタンティノープル総主教マヌエル1世が宗教上の理由で取りやめさせたという。ロベールのマリーはテオドロス1世ラスカリス と結婚していた。したがって、ロベールはすでにテオドロス1世の義兄であったが、義理の息子となることはできなかった。ともあれ、ロベールはすぐにエウドキアとの婚約を解消し、あるブルゴーニュ人の婚約者であったヌーヴィル家の娘と結婚した。そのブルゴーニュ人は陰謀を企て、ロベールをコンスタンティノープル から追い出した。ロベールにコンスタンティノープルに戻るよう説得する教皇に支援を求めるため、ロベールはローマに逃亡したが、1228年初めにコンスタンティノープルに戻る途中、モレアス で死去した。
脚注
参考文献
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