ロバロー (USS Robalo , SS-273) は、アメリカ海軍 の潜水艦 。ガトー級潜水艦 の一隻。艦名はスズキ亜目 セントロポマス科に属する大型魚「スヌーク (英語版 ) 」のスペイン語 名に因む。
コモン・スヌーク(メキシコ名Robalo blanco)
ファット・スヌーク(メキシコ名Robalo chucumite)
艦歴
「ロバロー」は1942年10月24日にウィスコンシン州 マニトワック のマニトワック造船 で起工する。1943年5月9日にE・S・ルート夫人によって進水し、艦長ステファン・H・アンブルスター中佐(アナポリス 1928年組)の指揮の下1943年9月28日に就役する。ミシシッピ川 を乾ドック に乗せられ曳航されたのち、真珠湾 に回航され太平洋戦線での任務に就いた。
哨戒
1944年1月8日、「ロバロー」は最初の哨戒でルソン島 西方に向かった。1月末から2月にかけては、レガスピ やサマール島 、スリガオ海峡 方面などで行動し、セブ からサンベルナルジノ海峡 を経由する交通路を哨戒したほか、ボアク島 近海でも行動した。2月13日夕刻、北緯13度30分 東経121度13分 / 北緯13.500度 東経121.217度 / 13.500; 121.217 のベルデ島水路 で2隻の輸送船を発見し、そのうちの一隻に対して魚雷を4本発射。1本が命中したが、「手負い」の輸送船に更なる攻撃を行わなかった。間もなく浮上すると、護衛の掃海艇 が挑戦してきたので3インチ砲で応戦したが、25発から30発撃ったところで砲戦は終わった。3月6日、57日間の行動を終えてフリーマントル に帰投した。
帰投後、この哨戒でのアンブルスター艦長の怠慢な姿勢に批判が向けられた。2月13日の攻撃の件のほか、「ハッド (USS Haddo, SS-255 ) 」が探知した強力な日本艦隊に対して、「フラッシャー (USS Flasher, SS-249 )」「ホー (USS Hoe, SS-258 )」「ヘイク (USS Hake, SS-256 ) 」および「レッドフィン (USS Redfin, SS-272 ) 」と違って立ち向かわなかったことなど、アンブルスターの指揮はあまりにも消極的で闘志がないと判断された。この方面の潜水部隊司令官ラルフ・クリスティ (英語版 ) 少将は、太平洋艦隊潜水部隊司令官チャールズ・A・ロックウッド 中将に対して、「アンブルスターは艦長としてはふさわしくない。彼に合う職があるなら、そこに入れてくれ」と要請する。その結果、3月29日付けでアンブルスターは艦長の任を解かれ、ミッドウェー島 の潜水艦基地のスタッフに左遷された。後任の艦長にはマニング・キンメル 少佐(アナポリス1935年組。元合衆国艦隊 兼太平洋艦隊 司令長官ハズバンド・キンメル 提督の息子[ 16] )が就任した。
1944年4月10日、「ロバロー」は2回目の哨戒で南シナ海 、インドシナ半島 方面に向かった。ダーウィン を経由し、哨戒海域に到着。4月24日夕方、北緯10度21分 東経109度32分 / 北緯10.350度 東経109.533度 / 10.350; 109.533 のサイゴン 沖で浮上航行中、ヒ58船団 に属していた空母 「海鷹 」所属の九七式艦攻 に発見された[ 20] 。「ロバロー」は潜航を開始したが、対潜爆弾が左舷部で炸裂。また乗組員がパニックに陥って機器の操作を誤ったため、過剰な浸水が発生してしまった。深度105mにまで沈下したが辛うじて危機を脱し、修理の上哨戒を期限まで続けた。5月3日朝には北緯11度57分 東経109度18分 / 北緯11.950度 東経109.300度 / 11.950; 109.300 の地点で3隻の輸送船を発見して魚雷を6本発射したが、陸岸に当たっただけで終わった。5月8日、北緯13度43分 東経114度16分 / 北緯13.717度 東経114.267度 / 13.717; 114.267 の地点でジグザグかつ17ノットで航行する輸送船を発見して魚雷を4本発射したが、これも命中しなかった。5月16日夜にも、北緯11度13分 東経115度38分 / 北緯11.217度 東経115.633度 / 11.217; 115.633 の地点で駆逐艦 に護衛された「7,500トン級タンカー」を発見し二度にわたって魚雷を計10本発射し、目標を撃沈したと判断したが、実際は不成功に終わった。5月30日、51日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。
6月22日、「ロバロー」は3回目の哨戒で南シナ海のナトゥナ諸島 近海に向かった。マカッサル海峡 とバラバク海峡 を通過し、予定では7月6日頃に担当海域に到着、8月2日まで留まることになっていた。7月2日、北緯03度29分 東経119度26分 / 北緯3.483度 東経119.433度 / 3.483; 119.433 の地点を浮上航行中にタラカン島 に入港しつつあった扶桑型戦艦 1番艦「扶桑 」と護衛の駆逐艦 3隻(満潮 、野分 、山雲 )を発見し司令部に打電した。「扶桑」以下は3回にわたる渾作戦 に参加した後に後退し、呉 に向かう途中に燃料を搭載のために入港したものであった[ 29] 。「ロバロー」は報告はしたものの、結局攻撃の機会は逸したと考えられる。また、「扶桑」を護衛していた駆逐艦は爆雷 を威嚇のために投下しただけだった。この時、「ロバロー」はボルネオ島の真東に位置していた。その後「ロバロー」からの報告はなく、哨戒から帰投することはなかった。「ロバロー」は喪失したと推定された。
喪失
8月2日、フィリピンパラワン島 のプエルト・プリンセサ にある捕虜収容所の独房の窓から一片の紙切れが落とされた。それは近くで仕事をしていたアメリカ兵に拾われ、更に収容所に収容されていた通信士官のH・D・ホウに手渡された。8月4日にホウはゲリラ のリーダー、ドクター・メンドーサの妻であるトリニダードと連絡を取った。彼らからの情報によれば、「ロバロー」は7月26日(もしくは7月2日)、パラワン島の西部海岸から2マイル沖合(バラバク島 南東)で浮上航行中、後部搭載砲付近の爆発後に沈没したとされる[ 2] [ 30] 。おそらく機雷 に接触したものと思われる。バラバク海峡には1941年12月7日に機雷が敷設されており、1943年3月には機雷原が強化された。「ロバロー」が海峡を通過する約4カ月前の1944年3月には、第三南遣艦隊 の敷設艦 「津軽 」がさらに機雷原を強化していた。キンメル艦長は漂流中に行方不明となった[ 32] [ 33] 。ロバローの生存者は士官1名を含む4名のみが海岸に泳ぎ着き、ジャングルを通ってプエルト・プリンセサ捕虜収容所の北西にたどり着いた。7月8日、日本の憲兵隊 は4名をとらえ投獄した[ 34] 。8月15日に彼らは日本の駆逐艦[ 注釈 1] によって移送され、8月19日に特設駆潜艇「高雄丸」が受領した[ 35] [ 36] 。その後は消息不明となった。「ロバロー」は1944年9月16日に除籍された。
「ロバロー」の喪失が宣告された後、マニング・キンメル艦長の弟で「バラオ (USS Balao, SS-285 ) 」に乗艦していたトーマス・キンメルは、合衆国艦隊司令長官兼海軍作戦部長 アーネスト・キング 大将直々の命令により、戦死の危険性が極めて少ない陸上勤務に配置換えとなった。トーマスは海上勤務への復帰を何度も願い出たが、そのつど却下された。その後、トーマスは「バーゴール (USS Bergall, SS-320 ) 」の艦長に就任したが、ほどなく終戦となった。
「ロバロー」は第二次世界大戦 の戦功で2個の従軍星章を受章した。
脚注
注釈
^ アメリカ側では、この駆逐艦は「朝風 」《8月23日沈没》か「夕凪 」《8月25日沈没》と推定している。
出典
参考文献
(issuu) SS-273, USS ROBALO . Historic Naval Ships Association. https://issuu.com/hnsa/docs/ss-273_robalo
アジア歴史資料センター(公式) (防衛省防衛研究所)
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関連項目
外部リンク