ロイヤル・ビクトリア・ホテル (Royal Victoria Hotel) は、イタリアのピサでアルノ川北岸の最も古い中世以来の地区にあるホテル。このホテルを成す建物の中でも最も古い部分は、11世紀にワイン醸造ギルドが建てた塔屋で、当時は宿泊施設や本部事務所を備えた会館として建設されたものである。
歴史
その後、この建物は「Universita de Vinajoli」というピサ大学の前身のひとつとなり、「Collegio Vittoriano」と称された時期もあった。当時は、ピサがトスカーナで最も有力な都市であった時期で、地中海地方の各地にその通商圏や植民地が広がっていた。16世紀[要検証 – ノート]はじめにフィレンツェ共和国がピサを征服すると、この建物にあったタバーン (居酒屋)(英語版)(宿屋を兼ねた居酒屋)が「勝利の宿」を意味する「ロカンダ・デラ・ヴィットリア (Locanda della Vittoria)」と称されるようになった[1]。
1837年、ルッカ公国籍で1794年生まれだったパスカーレ・ピエガーヤ (Pasquale Piegaja) が塔屋と付属の建物を買い入れ、かつての宿屋を改装して「ホテル・ロイヤル・デ・ラ・ヴィクトワール (Hotel Royal de la Victoire)」と称した。以来、ピエガーヤ家がこのホテルを経営し続けた[2]。
このホテルは、1860年代には、イタリアへとグランドツアーに赴く旅行者たちの間でよく知られた存在となっていた。1861年、オリヴァー・ブルーイット (Oliver Blewitt) というイングランド人は、著書『Handbook for travellers in central Italy』(『中部イタリア旅行者への手引書』の意)の中でこのホテルを薦めて「ヴィットリア (The Vittoria) はルンガルノ通りにあり、経営者のパスカーレ・ピエガーヤはイングランドの家庭で生活した経験があり、素晴らしいホテルで、とても清潔な上、気配りが行き届き応対も丁寧である」と記した[3]。国外からの訪問客向けに用いられるホテルの名称は、徐々に変化し、ヴィクトリア朝を通して多数の英語圏からの旅行者が訪れたことから「ロイヤル・ビクトリア・ホテル (Royal Victoria Hotel)」と称されるようになっていったが、地元では今も「ホテル・ヴィットリア (Hotel Vittoria)」と呼ばれている。