Kamaʻehuakanaloa海山(英: Kamaʻehuakanaloa Seamount)[6]、旧称ロイヒ(英: Lōʻihi)とは、アメリカ合衆国、ハワイ島からおよそ35 km (22 mi)南東沖にある活発な海底火山である[7]。山頂は地球上最大の楯状火山であるマウナ・ロア山の中腹、海面下975 m (3,000 ft)に位置している。「ロイヒ」とは、ハワイ語で「長い」を意味する言葉である[4]。
ロイヒは約40万年前に形成を始めた。今後1万から10万年後頃になれば、海面上に姿を現しはじめるだろうと予測されている。ロイヒは深海底から比高3,000 m (10,000 ft)以上に聳え立っている。この高さはセント・ヘレンズ山が1980年に起こした破局的な噴火で低くなる前の海抜標高に匹敵しているか、それを追い抜くほどになっている。今のところ、山頂は海面下975 m (3,000 ft)に届いている。ロイヒ山頂周辺の熱水噴出孔には多種多様な微生物群が生息している。
ロイヒは地球最大の楯状火山であるマウナ・ロア山の中腹に存在している海山である。この火山はハワイ・ホットスポットが生み出した、長大なハワイ-天皇海山列を構成する火山の中で最も若い火山である。形成年代が古いマウナロア山とロイヒとの山頂間の距離は、およそ80 km (50 mi)である。この距離は偶然にもハワイ・ホットスポットの直径と一致している。[4]ロイヒの頂上部は、三つの火口(ピット・クレーター(英語版))があり、それぞれ、山頂直下から北方向に11 km (7 mi)、南南東方向に19 km (12 mi)の長さにわたって割れ目帯(リフト・ゾーン(英語版))が伸びている[8]。
3つの頂上火口は、それぞれ、西火口(West Pit)、東火口(East Pit)、そしてペレ火口(Pele's Pit)と名付けられている[9]。ペレ火口はこの中で一番若く、山頂の南部にある。ペレ火口の火口壁は200 m (700 ft)の高さで立ち上がっている。これは、1996年7月に、その前身であるペレ噴出口(Pele's Vent)が陥没して形成された。ペレ噴出口は、ロイヒ山頂直下にあった熱水噴出領域であった。[7]ペレ火口の壁が驚くほど分厚いことは、これらの火口は過去に何度も溶岩で充たされたことがあることを示唆している。この火口壁は、平均して20 m (70 ft)の幅が有る。特記すべきはこの厚みで、ハワイの陸上によく見られる火口と比較しても異常なほどである[10]。
ロイヒには南北方向に延びるリフト・ゾーンがある。これが海山特有の南北に細長く引き伸ばされた形をつくる元になっている。それゆえ、この海底火山の名前はハワイ語で”長い”を意味する「ロイヒ」と命名されたのである[11]。北リフトゾーンは、長い西の分枝部と短い東リフトゾーンから成っている。観測結果から、南北両方のリフトゾーンには海底の堆積物が積もっていないことが明らかになっている。このことから、地質年代的にごく近い時期に火山活動を起こしたことを示している。北リフトゾーンの膨出部は3つの60–80 m (200–260 ft)の円錐形をした高まりを内に含んでいる[10]。
1970年まで、ロイヒは太古の昔に活動を止めた火山だと考えられていた。海洋底拡大に伴い、太平洋プレートに乗って、あたかもベルトコンベア上に載せられた小包のようにして、生まれた場所から遥か離れたこの地まで運ばれてきたのだと思われてきた。ハワイ諸島が下に敷いている海洋底は東太平洋海膨で作られてから8千万年から1億年たっている。太平洋の海洋底拡大軸でマントルからマグマが湧き上がっては噴出してできた新たな海洋地殻は、拡大軸から離れる方向へ動き続けている。そのような長期間にわって、ハワイの下の海洋底は東太平洋海膨から6,000 km (4,000 mi)西に行った現在の位置まで旅をして古代の海山を運んできたのだと思われてきた。ロイヒがハワイ-天皇海山列の正式なメンバーであると判明したのは、1970年、ハワイ島沖で起きた群発地震を科学調査した時である。ロイヒの山頂火口の年齢パターンは、ロイヒ自体がハワイホットスポットの真上にあった発生地点から動くにつれて火山活動の中心をゆっくりと東に移らせているということを確証させた[2]。
ロイヒは海底から3,000 m (10,000 ft)以上もそびえたっている[2]。しかし、未だその頂きは海面よりも975 m (3,199 ft)下にある[1]。ロイヒは約5度の傾きのある海底で形成された。マウナロアの中腹にある海山の北側の基盤は海面下1,900 m (6,200 ft)にある。しかし、その南側の基盤は更に深いところ、海面下4,755 m (15,600 ft)の深海にある。それゆえ、山頂は、海山の北麓を基準にして測ると931 m (3,054 ft)の比高が有るといえるが、南麓を基準にして測ると3,786 m (12,421 ft)の比高があるといえる[4]。
ロイヒから採取された岩石標本の年代を特定するために放射年代測定が使われた。ハワイ火山学センター(Hawaii Center for Volcanology)は、数回の学術調査を目的とした航海で記録されたサンプルを試験した。特筆すべきは1978年の17回もサンプルを浚い上げるのに成功した調査航海であった。殆どのサンプルは古代にその起源をもつように思われた;最も古い記録が残された岩石は30万年前のものであった。1996年イベントを受けて、作られてからそう年代を経ていない火山砕屑岩(角礫岩、Breccia)数個も採集された。サンプルを基にして、科学者チームはロイヒの生成年代を、今よりおよそ40万年前であろうと推定した。山体は、基底部では1年当たり平均して3.5 mm (0.14 in)、頂部では7.8 mm (0.31 in)の割合で積み重なっていた。もし、例えばキラウエア火山のような他の火山で得られたデータモデルがロイヒでも当てはまるとすると、火山の重量の40パーセントが最近10万年以内に形成されたことになる。リニアな成長モデルが当てはまると仮定すれば、ロイヒは形成開始から25万年経っていることになる。しかしながら、全てのホットスポット火山と同様に、ロイヒの火山活動レベルは時間が経過するとともに増大したと考えられる;それゆえ、このような火山がロイヒの規模に達するまでに、少なくとも40万年は掛かったと考えられる[5]。ハワイ諸島の火山は北西方向に年間10 cm (4 in)の割合で引きずられているので、ロイヒは、海底で初めて噴火した時には現在地より40 km (25 mi)南東にあったはずである[14]。
火山活動
ロイヒは地質学的には形成年代が若く、活発な火山活動をしていることが顕著な海底火山である。しかしながら、近くにあるキラウエア火山より火山活動は激しくない。過去のある短期間には、ロイヒで数回にわたる群発地震が発生した。その中で最大の物は下記に示す表中にまとめられている[15]。現在では、この海山の火山活動は、火山によって引き起こされる地震が1959年から収録されている地震計での記録波形をさかのぼることでも研究が進められている[16]。ロイヒで起こる大抵の群発地震は一度始まってから2日間以内に収まってきた。うち2件の例外は数か月にも及んだ1991年から1992年にかけての地震、および、1996年の噴火事象(以下1996年イベント)である。これは短期間で終わったが、論文に取り上げられる群発地震のなかで一番多く言及されている。両方の地震とも、山腹から始まり、山頂にかけて広がっていくという、決まった地震活動の様式を踏襲していた。1996年イベントは、自律的海底観測所(autonomous ocean bottom observatory :OBO)で、直接観測されていた。これにより、科学者にとって、震源は山頂直下6 km (4 mi)から8 km (5 mi)までの深さにあると判明した。この場所はロイヒのごく浅いマグマだまりに近い位置である[5]。この計算結果からは、ロイヒでおこる群発地震は火山に起源をもつものであるという証拠になった[9]。
1959年からロイヒで詳細に記録された低レベルの地震活動により、2回から10回の地震が山頂で起こっていることが突きとめられた[16]。 群発地震のデータはロイヒを構成する火山岩が地震波をどのくらい良く伝播するか、および、地震と噴火の関係を調べるために使われた。この低調な地震活動は、100回ほどの地震で構成された大規模な群発地震により、周期的に中断されていた。大部分の地震の震源域は山頂近くには分布していなかったが、北から南へと震源域の分布が延びる傾向があった。むしろ、強いて言うならば、ほとんどの地震はロイヒの南西部でおきていた[5]。1971年、1972年、1975年、1991から1992年、1996年の期間に、ロイヒで記録的な最大規模の群発地震が発生した。強烈な地震が集中して起こる場所は、ロイヒの周囲30 km (20 mi)からハワイ島の南岸にかけてである。マグニチュード2以下の地震イベントは頻繁に記録されるが、小さい地震の震源の位置は的確に検知できないでいる[17]。これとは対照的に大規模な地震の場合は震源が正確に特定できる。実際のところは、ロイヒの中腹に設置されたHUGOがハワイ火山観測所(HVO)の地震ネットワークで記録されたよりも10倍の頻度で地震を記録している[5]。
群発地震の最後2週間は1996年8月に発足したクイック・レスポンス・クルーズ(quick response cruise)によって観測されていた。アメリカ国立科学財団は、ハワイ大学のフレデリック・K・ドゥエネビアー(Frederick K. Duennebier)率いる科学者チームによる探査(学術調査航海)のために研究費を交付した。この学術航海は、ロイヒの試料採取と火山活動の解明を目的とし、1996年8月から続いた一連の群発地震及びその起源を徹底的に調べるためにはじめられた。科学者たちの想定は、研究の大半を占め、何回となく繰り返された学術航海で構成され、また、仮説の裏付けとなったフィールドワークに基礎を置いていた[20]。ロイヒに対する追跡調査が行われた。その中では8月と9月に有人潜水艇パイシーズ号の投入も行われた。
これ等の調査は非常に多くの海岸を基本とした研究により、不足した箇所を増補された[19]。調査航海の間に採集された新鮮な岩石により、群発地震のおこる以前に噴火が起こっていたことが明らかになった[21]。
8月に実施された潜水調査は、1996年9月から10月にかけてNOAAが資金援助した研究から支援された。これらの細部にわたった研究で、現状ではロイヒ山頂の南端が陥没していることが明らかにされた。火山自体からマグマ溜まりへと火道を満たすマグマが急速に後退したこと、および、群発地震との両方によって引き起こされたものであろうと考えられている。差し渡しが1 km (0.6 mi)、深さが300 m (1,000 ft)の火山岩塊でできた山頂火口が作られた。この1996年イベントは100 million立方メートルの火山噴出物の流出を伴っていた。山頂にある10 km2 (3.9 sq mi)から13 km2 (5.0 sq mi)の領域が、バス並みの大きさの枕状溶岩で置き換えられ、岩の塊がごろごろし、さながら海中のガレ場の様相を呈していた。巨岩は新たに形成された火口の外縁一帯に不安定な状態で留まっていた。1996年イベントで緊急調査する以前、山頂南端にあるこの場は、「ペレ噴出口」("Pele's Vents")と呼ばれた熱水噴出領域(熱水フィールド)があり、安定して長期間にわたって存在するだろうと考えられていた。しかし、そこは、完全に崩落・陥没して巨大な窪みを形作り、地名を「ペレ火口」("Pele's Pit")に改められた。海底火山南端[22]にできたばかりのピット・クレーターに海水が流入し、遊離した無機塩類やバクテリア代謝物と混じり合い、ロイヒ山頂の西縁から流れ出していた。その結果できる流速が非常に強い海流は、この海域への有人潜水艇による調査を非常に危険なものにしていた[20]。
いくつかの研究は火山学的にも熱水活動的にも一番活発な地域は南リフト・ゾーン沿いに所在する事を論証してみせた。それほど活動的ではない北縁での潜水調査において、その地域での微小地形はやや安定していて柱状節理が発達していることが判った[20]。新たにできた熱水フィールド(Naha Vents:「ナハ・ベント」)はアッパーサウス・リフトゾーン(upper-south rift zone)の深さ1,325 m (4,350 ft)の場所に位置していた[5][24]。
最近の活動
1996年イベント以来、ロイヒはそのほとんどの期間を静かにして過ごしていた。2002年から2004年にかけて、全く地震活動が記録されていなかった。2005年、再び、その海山は火山活動の兆候を示し、そこで記録された他のどのような地震よりも大きな地震をおこした。ロイヒで、それぞれ5月13日にM5.1、7月17日にM5.4の規模の2回の地震が発生した。USGS-ANSS(Advanced National Seismic System)は、これらの地震を記録していた。両方とも震源の深さは44 km (27 mi)であった。4月23日、深さおよそ33 km (21 mi)の場所でM4.3の地震が記録された。2005年12月7日から年が明けて1月18日にかけて、凡そ100回の群発地震が発生した。記録されたうち最大のものはモーメント・マグニチュードにして4の規模であり、深さ12 km (7 mi)から28 km (17 mi)にかけて発生したものだった。そのほかの地震では、後に、ロイヒとハワイ島南岸の街パハラの殆ど中間地点で記録された、M4.7の地震がある[15]。
後にロイヒと名付けられることになる当海山が世界で初めて海図に書き込まれたのはSurvey Chart 4115に記載されたものである。1940年にアメリカ国立沿岸測地局(英語版)(USCGS)によって編纂されたハワイ州沿岸の海底地形図(英語版)に記載されている。当時は、その海山は特別に記述すべき事項が何もない、その海域に無数に存在する名も無き海山のうちの一つでしかなかった。1952年に海山周辺で発生した巨大な群発地震のおかげで、科学者からの科学的な関心が向けられるようになった。同年、地球科学者のゴードン・A・マクドナルド(Gordon A. Macdonald)は、その海山が現実に活発な噴火をしている海底火山であり、2座のハワイ島の火山であるマウナロアやキラウエアと同じような盾状火山ではないかと言う仮説をたてた。マクドナルドの仮説は、海山をハワイ・ホットスポットが産み出したハワイ-天皇海山列の一番若い火山と位置づけていた。しかしながら、地震は火山性の地溝帯とも言うべきリフト・ゾーン(或いはヒリナ断層系(英語版))の走る方向である東西の方角に向かっており、また海山から離れて設置した地震計が火山性微動を検知しなかったために、マクドナルドは、この地震を、断層がずれ動いたために起きたものであろうと考えた。彼は、地震の発生源が火山噴火にあるとは考えなかったのである[5]。
地質学者たちは、その海山が活動的な海底火山ではないだろうかと疑わしく思っていた。しかし、その確証がなかなか得られず、不確かなままで放置されていた。この海山が「現在でも活動する海底火山である」との説は1952年イベントの後で殆ど否定され、その後に刊行された海図には「かなり古い火山性の地形」"older volcanic feature"としばしば誤って表示された[5]。1955年に、地質学者のケネス・O・エメリー(英語版)(Kenneth O. Emery)は、この海山に名前を付けたと言われている[8]。彼は、この海底火山が南北に長く幅の狭い外形をしていることから、ハワイ語で「長い」を意味するロイヒ(Lōʻihi)という言葉を取って、この海山に名前を付与した[11][28]。1978年、ロイヒのある海域の周囲や内部で起こる群発地震として知られている強烈で再帰性のある地震活動を調査するため学術航海が行われた。海山の観測をしたところ、火山が活発に熱水を噴出しているのはもちろん、その表面が全面的に新旧織り交ぜた溶岩流で覆われているということが判明した[2]。集積されたデータから、ロイヒが若くもしかしたら今でも活動している火山かもしれないことが明らかになった。もはや、太古に活動し今では活動していない、いうなれば「海底死火山」とみなすことは不可能に近かった。
マルチビーム音響測深機を繰り返し使う海底測量が何度も行われた。その成果を利用して作られた海底地形図は、ロイヒ山頂が1996年の陥没前後でどのように変化したかを測るために使われた。熱水プルームの調査ではエネルギーの変化、および、ロイヒから放出されている溶存ミネラルが確認された。ハワイ海底研究所(英語版)(HURL)所有の2,000 m (6,562 ft)まで潜航可能なパイシーズ級深海探査艇パイシーズV(英語版)のおかげで、研究者は噴出口からでてくる熱水および噴出口周辺に住む微生物や熱水鉱床の標本採集が可能だった[7]。
熱水噴出口群は海面下1,100 m (3,600 ft)から1,325 m (4,347 ft)にかけての深度に存在する。また、水温は、低いものでは摂氏10 ℃から、高いものでは200 ℃になるものまで存在する[24][33]。熱水噴出口からの熱水はCO2(up to 17 mM)とFeを高濃度に含有し、対照的に硫化物イオンを低濃度で含むことで特徴づけられる。酸素濃度とpHレベルが低く保たれていることは、噴き出す熱水が鉄イオンを高濃度に含むことの助けになる重要な要素である。これらはロイヒが他の熱水鉱床とは違う特色のうちの一つである。これらの特徴は、FeOBとも呼ばれる鉄バクテリアにとって繁栄に最適な生育条件を生み出す[27]。これらの種の例にプロテオバクテリア門ゼータプロテオバクテリア綱(英語版)を構成する1科1属1種の細菌であるMariprofundus ferrooxydansが挙げられる[34]。 ロイヒにある熱水噴出口の、上へと伸びた煙突のようなものを構成する物質の組成は、ブラックスモーカーと同じである。それらは古細菌をはじめとする好熱菌などの極限環境微生物のすみかである。次の2年間掛かりで観察された鉱物の酸化と溶解現象の結果は、硫酸塩鉱物は簡単に分解されてしまうことを示唆している[23]。
微生物マットの多様な微生物の群落は、ペレ火口の底の大部分を絨毯のように覆い、また、熱水噴出口を取り巻いている。NOAAが西太平洋とハワイ研究のために設立した研究センターであるハワイ海底研究所は、熱水システムを監視し調査しており、ロイヒ固有の微生物コミュニティについての研究をしている[7]。
1999年、アメリカ国立科学財団(NSF)は、ロイヒ周辺に住む極限環境微生物のサンプリングを目的とした当海域への調査航海を資金面で支援した。微生物マットは摂氏160 ℃の熱水噴出口を取り巻き、奇抜なクラゲのような有機体を含んでいた。サンプルはNSFの海洋バイオプロダクト工学センター(Marine Bioproducts Engineering Center, MarBEC)で研究するために採集された[7]。2001年、パイシーズV[20] は、その有機体のサンプルを収集し、研究のために海上へ送り届けた。
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^(訳注:原文は”Seawater flowed into the newborn pit on the northern end of the volcano,”となっているが、"nortern end"-「北端」は間違いで正しくは南端であろう)
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