レッド・ホット・チリ・ペッパーズのメンバーの一覧
レッド・ホット・チリ・ペッパーズ (Red Hot Chili Peppers ) は、アメリカ合衆国 カリフォルニア州 で1983年 に結成された、オルタナティヴ・ロック バンド である[ 1] 。バンドはロサンゼルス のフェアファクス高校 (英語版 ) の同級生であるヴォーカルのアンソニー・キーディス 、ギタリストのヒレル・スロヴァク 、ベーシストのマイケル“フリー”バルザリー 、ドラマーのジャック・アイアンズ により、在学中に結成された。結成当初から、レッド・ホット・チリ・ペッパーズは4人編成で活動を続けており、現在までに通算15名の所属メンバーが存在する。
EMI とレコーディング契約を結ぶ2週間前既に、ヒレルとアイアンズは同時に所属していたバンド、ホワット・イズ・ディス? (英語版 ) のメンバーとしてMCAレコード とレコーディング契約を結んでおり、チリ・ペッパーズを脱退していた[ 2] 。キーディスとフリーは、チリ・ペッパーズを解散せずに、ギタリストのジャック・シャーマン (英語版 ) とドラマーのクリフ・マルティネス を代わりのメンバーとして迎えて活動することに決め[ 3] 、1984年 8月10日にデビュー・アルバム『レッド・ホット・チリ・ペッパーズ 』を発表した。続いて行われたツアーの期間中、アンソニーとシャーマンの間にあった音楽性、個人の生き方の相違から生じる緊張状態が、コンサートや他のバンド活動に支障を来すようになり[ 4] [ 5] 、シャーマンは解雇され、ホワット・イズ・ディス?での活動に飽きたスロヴァクが1985年 にチリ・ペッパーズに復帰する[ 6] 。1986年 の夏にはマルティネスも、他のメンバーとの性格の不一致を理由に解雇され、その頃、他に契約もなくなり失職状態だったアイアンズがチリ・ペッパーズに復帰する[ 7] 。しかし、この頃にはアンソニーとヒレルが重度の麻薬中毒状態に陥っており、このためアンソニーは同じ年にバンドを一時脱退している[ 8] [ 9] 。3枚目のアルバム、『ジ・アップリフト・モフォ・パーティ・プラン 』のプロモーション・ツアーを終えて間もない1988年 6月25日、ヒレルがヘロイン の過剰摂取により急死する。これを受けてアイアンズも、「友人が死んだバンドの一部になりたくない」と言い残してバンドを脱退してしまう[ 1] 。
ヒレルの死とアイアンズの脱退という事態に対処するため、アンソニーとフリーは一時的にパンクバンドデッド・ケネディーズ のドラマーD・H・ペリグロ (英語版 ) と、Pファンク のギタリストデュアン・マクナイト (英語版 ) を起用するが[ 10] 、どちらも目立った活躍がなく、すぐに交代する事になる[ 11] 。しかし、D・H・ペリグロはその短い在籍期間に唯一、チリ・ペッパーズに後々まで続く、重要な結果をもたらした。自分の知人であるジョン・フルシアンテ が、空席となっていたギタリストの座を埋めるオーディションを受けることになったのである。建設的なジャム・セッションの後、フルシアンテを新メンバーとして迎え入れることが全員一致で決定された[ 12] 。バンドは何度か公開オーディションを行ったものの、代わりのドラマーを見つけられずにいた。やがて、バンドの友人が自分の知り合いのドラマー、チャド・スミス を紹介する。スミスは、その友人によれば「(ドラムを)朝飯に食う」ほどの達人であった[ 13] 。スミスとのジャム・セッションは成功裏に終わり、アンソニーとフリー、フルシアンテは彼を新ドラマーとしてチリ・ペッパーズに迎え入れた[ 14] 。
『ブラッド・シュガー・セックス・マジック 』発表後のツアーの最中の1992年 5月に、フルシアンテはバンドの新たな成功と自身の薬物中毒による重圧から、突然バンドを脱退する[ 1] 。カリフォルニアのパンクバンドサークル・ジャークス (英語版 ) のベーシスト、ザンダー・シュロス (英語版 ) が代理に起用されるが、バンドの方向性に合わないとの理由でアンソニーとフリー、スミスはわずか4日で解雇している[ 15] 。ギタリストのアリク・マーシャル がシュロスの後任となったが、彼らの6枚目のアルバム製作の準備中に他のメンバーとの間に緊張状態が生じ、1993年 初めに解雇されている[ 16] 。公開オーディションの結果、ジェス・トビアス (英語版 ) が新ギタリストとして起用されるも、短期間で解雇されている。他のメンバーによれば「相性がよくなかった」とのことであった[ 17] 。1993年9月5日、バンドはようやくジェーンズ・アディクション のギタリスト、デイヴ・ナヴァロ を迎え入れることに決定した[ 17] [ 18] 。
1998年 4月、音楽性の相違からナヴァロがチリ・ペッパーズを脱退したことが発表された。アンソニーによれば、この脱退は「お互い納得の上」のものであったという[ 19] 。同じ月、フリーがフルシアンテの元を訪問し、バンドへの復帰を要請。この申し出に感動し、すでに薬物中毒からも脱していたフルシアンテは喜んで復帰に同意する[ 20] 。
2007年 終わりに、チリ・ペッパーズは一時活動を停止し、主な理由としてアンソニーは消耗しきったことを挙げた[ 21] 。
2009年 12月、フルシアンテは自身の公式ウェブサイト上で、ソロ活動に専念するため、活動停止期間中にチリ・ペッパーズを脱退したことを発表した[ 22] [ 23] 。多くの憶測が流れる中、チャド・スミスは2010年 2月8日、前回のツアーメンバーであったギタリスト、ジョシュ・クリングホッファー がフルシアンテの後任であることを認めた[ 24] [ 25] 。
2019年 12月、ジョシュ・クリングホッファーの脱退とジョン・フルシアンテの二度目の復帰がバンド公式インスタグラムより発表された。
2020年 8月、ジャック・シャーマンが死去。
メンバー
現在
2019年 現在、レッド・ホット・チリ・ペッパーズは、ヴォーカリスト、ベーシスト、ドラマー、ギタリストそれぞれ1名ずつで編成されている。
過去に在籍したメンバー
過去にレッド・ホット・チリ・ペッパーズに在籍したことのあるメンバーは、ギタリスト8名、ドラマー3名である。
ツアーに参加したミュージシャン
レッド・ホット・チリ・ペッパーズは、その活動期間中に数多くのミュージシャンを、ツアーに参加させてきた。そのようなミュージシャンは、バンドのライヴで演奏するだけで、スタジオでの録音作品には関わっていない[ nb 2] 。
画像
氏名
参加年
担当楽器
出典
ジョシュ・クリングホッファー (Josh Klinghoffer)
2007
ギター、キーボード、バッキング・ヴォーカル
[ 28]
マルセル・ロドリゲス=ロペス (Marcel Rodriguez-Lopez)
2006–2007
キーボード、クラビネット 、パーカッション
[ 29]
—
ロブ・ルール (Rob Rule)
1995–1996
ギター、バッキング・ヴォーカル
[ 30]
—
レイン・フェニックス (Rain Phoenix)
1995–1996
バッキング・ヴォーカル
[ 31]
—
アカシア・ラドウィッグ (Acacia Ludwig)
1995–1996
バッキング・ヴォーカル
[ 32]
—
ヴィッキ・カルフーン (Vicki Calhoun)
1989–1990
バッキング・ヴォーカル
[ 27]
—
フィリップ・フィッシャー (Philip "Fish" Fisher)
1988
ドラムス、パーカッション
[ 27]
—
キース・バリー (Keith "Tree" Barry)
1987–1990
サクソフォーン
[ 27]
脚注
^ D・H・ペリグロの演奏はアルバムには録音されていないが、アルバム『母乳』(1989)に収録された "Stone Cold Bush", "Sexy Mexican Maid" の共作者としてクレジットされている。[ 26]
^ ツアー・ミュージシャンのうち、ヴィッキ・カルフーン、キース・バリー、フィリップ・フィッシャーは『母乳』(1989)に参加しており、カルフーンは"Knock Me Down"、"Higher Ground"、"Good Time Boys"、"Johnny, Kick a Hole in the Sky"でバッキング・ヴォーカルを、バリーは"Subway to Venus"でテナー・サックスを、フィッシャーは"Taste the Pain"でドラムスをそれぞれ担当している[ 27]
出典
概説
特定箇所
^ a b c Prato, Greg. “Red Hot Chili Peppers > Biography ”. Allmusic . 2012年7月15日 閲覧。
^ Kiedis, Sloman, 2004. p. 126
^ Kiedis, Sloman, 2004. p. 127
^ Kiedis, Sloman, 2004. p. 133
^ Kiedis, Sloman, 2004. p. 134
^ Kiedis, Sloman, 2004. pp. 162–163
^ Kiedis, Sloman, 2004. p. 188
^ Kiedis, Sloman, 2004. p. 191
^ Kiedis, Sloman, 2004. pp. 219–225
^ Kiedis, Sloman, 2004. p. 224
^ Kiedis, Sloman, 2004. pp. 229, 233
^ Kiedis, Sloman, 2004. p. 229
^ Kiedis, Sloman, 2004. p. 233
^ Kiedis, Sloman, 2004. p. 234
^ Kiedis, Sloman, 2004. pp. 297–298
^ Kiedis, Sloman, 2004. p. 311
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^ “"Walkabout" Live ”. NME . June 16, 2010 閲覧。
メンバー (メンバー一覧 も参照)
スタジオ・アルバム ミニ・アルバム ライヴ・アルバム コンピレーション・アルバム 映像作品 主な楽曲 プロデューサー 関連バンド 関連項目
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