初めヴィッテンベルク大学で学び、その後、南フランスのモンペリエ大学、ヴァランス大学(Université de Valence)で、ギヨーム・ロンドレに学び、有名な植物学者、カロルス・クルシウスを訪れた。1565年に故郷のアウクスブルクで医師を開業し、結婚した。薬草園を経営し、レバノンから薬草を輸入していた義理の兄、マンリッヒ(Melchior Manlich)の要望で、新しい植物や薬を探すために中東への旅することになった。フランスのマルセイユを1573年に出発し、レバノンのトリポリに向かった。トリポリからアレッポに向かい、しばらく留まった後、1574年にバグダードとモースルを訪れ、1575年にエルサレム、アレッポ、トリポリを経て1576年にアウクスブルクに戻った。近世のヨーロッパの植物学者としては初めて、シリアとメソポタニアを訪れた人物となった。帰国した後、本草書"Viertes Kreutterbuech -- darein vil schoene und frembde Kreutter … einegelegt unnd aufgemacht worden …"を執筆した。
植物学の調査の他に、現地の人々や習慣やレバントの風景に関する感想を記録し1582年にドイツ語で"Aigentliche Beschreibung der Raisz, so er vor diser zeit gegen Auffgang inn die Morgenländer … selbs volbracht …"を執筆し、これは1693年に英語訳され、"Dr. Leonhart Rauwolf's Travels into the Eastern Countries" としてジョン・レイが編集した旅行記のコレクションの一冊として出版された。オランダ語にも訳された。ラウヴォルフはヨーロッパで初めてコーヒーを飲む習慣について記述し、「まるでインクのように黒いChaubeという飲み物が、特に胃の病気に有効であり、早朝、できるだけ熱くして陶器のコップからすばやくすすられる」と紹介した。またトリポリの人々の食生活についても紹介した。
Karl H. Dannenfeldt, Leonard Rauwolf, sixteenth-century physician, botanist, and traveller. Biography book published in 1968.
Franz Babinger, "Leonhard Rauwolf, ein Augsburger Botaniker und Ostenreisender des sechzehnten Jahrhunderts," Archiv für die Geschichte der Naturwissenschaften und der Technik, 4 (1913), 148-61.