ルイーゼ・ツー・メクレンブルク (ドイツ語 : Luise Herzogin zu Mecklenburg[-Schwerin] , 1824年 5月17日 - 1859年 3月9日 )は、ドイツ・メクレンブルク=シュヴェリーン 大公家の大公女。
生涯
母アレクサンドリーネ 、兄フリードリヒ・フランツ とともに(一番右)
1824年5月17日、メクレンブルク=シュヴェリーン大公パウル・フリードリヒ と、その妻のプロイセン王女アレクサンドリーネ 夫妻の間の第2子、長女としてルートヴィヒスルスト (英語版 ) (メクレンブルク=フォアポンメルン州 ルートヴィヒスルスト郡 )で生まれた。洗礼名は母方の祖母であるプロイセン王妃ルイーゼ に因んでルイーゼ・マリー・ヘレーネ(Luise Marie Helene )となった。
1849年10月20日にオーストリア帝国 の陸軍元帥アルフレート・ツー・ヴィンディシュ=グレーツ 侯爵の弟、ヴェーリアント・ツー・ヴィンディシュ=グレーツ侯爵の長男フーゴー(1823年 - 1904年)と結婚した。1859年3月、ヴェネツィア滞在中に発病して急死した。葬儀は婚家の持ち城の1つ、リティヤ 郊外のヴァーゲンスベルク城(Schloss Wagensberg)で行われた。婚家はカトリック信徒だったため、リュブリャーナ から福音派教会の主任牧師ルートヴィヒ・テオドール・エルツェ (ドイツ語版 ) が呼ばれ、司式を取り仕切った。
夫は1867年10月9日にマティルデ・ラジヴィウ公女と再婚した。そして同月27日の父の死と同時に、弟系ヴィンディシュ=グレーツ侯爵家の家督を継いだ。
子女
夫との間に4人の子女をもうけた。
アレクサンドリーネ ・マリー(1850年 - 1933年)
オルガ ・マリー・フリーデリケ(1853年 - 1934年) - 1876年、アンドレア・モチェニゴ伯爵と結婚(1878年死別)
フーゴー ・ヴェーリアント・アレクサンダー・ヴィルヘルム・アルフレート(1854年 - 1920年) - 弟系ヴィンディシュ=グレーツ侯、1885年にアウエルスペルク侯女クリスティアーネと結婚
マリー ・ガブリエーレ・エルネスティーネ・アレクサンドラ(英語版 ) (1856年 - 1929年) - 考古学者、1881年にメクレンブルク公パウル・フリードリヒ と結婚
なお、夫と後妻の間の3人の子はいずれも早世した。
参考文献
Theodor Elze: Rede bei der Beisetzung der Leiche Ihrer Hoheit Luise Fürstin von Windischgrätz, Herzogin von Mecklenburg-Schwerin, auf Schloss Wagensberg den 21. März 1859. Laibach: Kleinmayr & Bamberg 1859
外部リンク
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