リヒテンシュタイン侯位継承順位 では、リヒテンシュタイン の侯位継承権者の序列 について述べる。継承順位はリヒテンシュタイン家 の家内法によって規定されている。リヒテンシュタインは欧州の君主制国家の中で、現在も男系男子による長子相続 制度を正統とする唯一の国家となっている。
概要
1606年、初代リヒテンシュタイン侯カール1世 は2人の弟との間で家内協定を結び、リヒテンシュタイン家の家督は男系男子の長子相続制によって継承されることを定めた[ 1] 。同家の家内法は成員たちに対して様々な制約を課してきたが、1993年になると家内法の一部は時代に即さないために改正されることになった。古い家内法は1993年10月26日に廃止され[ 2] 、同年12月6日に新しい家内法が発布された[ 3] 。
新しい家内法によれば、リヒテンシュタイン侯位継承権は、ヨハン1世・ヨーゼフ 侯(1908年以降のリヒテンシュタイン家の男系子孫全員の共通の先祖にあたる)の男系男子として出生すれば授けられる。ただし両親がリヒテンシュタイン侯国元首(つまり家長)の同意を得て結婚している場合に限られる。もし侯位継承権者の要件を満たす者が1人も存在しなくなった場合、侯国元首は自身の推定相続人 を指名する権限を行使できる。継承権者が養子縁組を行った場合、その養子となった者には継承権は与えられない[ 3] 。
リヒテンシュタインにおいて、女子継承の可能性が政治的な議題に上ったことは一度としてない[ 4] 。現行の家内法もまた女子継承の可能性の記述はない[ 3] 。国際連合 は2004年、リヒテンシュタインが女性が国家元首になる可能性を排除しているなどとして、市民的及び政治的権利に関する国際規約 の定めに合致したものかどうか疑問を呈した[ 5] 。さらに国連はこの問題について2007年、女子差別 にあたる可能性があるとして懸念を表明した[ 6] 。ハンス・アダム2世 は男女同権 の徹底を要求する国連に対する回答として、リヒテンシュタイン家の継承法はリヒテンシュタイン侯国の成立以前から定まっていること、継承法は一族の伝統に過ぎず、領民の市民的権利に影響を与えるものではないことを提示した。
リヒテンシュタインの憲法 (英語版 ) は、侯位継承について侯爵家の私的な事柄に属すると定めている[ 7] 。
侯位継承順位
ヨハン1世・ヨーゼフ (1760-1836)
フランツ (1802-1887)
アルフレート (1842-1907)
アロイス (1869-1955)
フランツ・ヨーゼフ2世 (1906-1989)
ハンス・アダム2世 (b.1945)
(1) アロイス (b.1968)
(2) ヨーゼフ・ヴェンツェル (b.1995)
(3) ゲオルク (b.1999)
(4) ニコラウス (b.2000)
(5) マクシミリアン (b.1969)
(6) アルフォンス (b.2001)
(7) コンスタンティン (b.1972)
(8) モーリッツ (b.2003)
(9) ベネディクト (b.2008)
(10) フィリップ・エラスムス (b.1946)
(11) アレクサンダー (b.1972)
(12) ヴェンツェスラウス (b.1974)
(13) ルドルフ (b.1975)
(14) ニコラウス (b.1947)
(15) ヨーゼフ・エマヌエル (b.1989)
カール (1910-1985)
(16) アンドレアス (b.1952)
(17) グレゴール (b.1954)
ゲオルク (1911-1988)
(18) クリストフ (b.1958)
ハインリヒ (1920-1993)
(19) フーベルトゥス (b.1971)
ヨハンネス (1873-1959)
アルフレート (1907-1991)
(20) フランツ (b.1935)
(21) アルフレート (b.1972)
(22) フランツ (b.2009)
(23) ルーカス (b.1974)
フリードリヒ (1937-2010)
(24) エマヌエル (b.1978)
(25) レオポルド (b.2010)
(26) ハインリヒ (b.2012)
(27) ウルリヒ (b.1983)
(28) アントン (b.1940)
(29) ゲオルク (b.1977)
ヨハンネス (1910-1975)
(30) オイゲン (b.1939)
(31) ヨハンネス (b.1969)
アルフレート (1875-1930)
ハンス・モーリッツ (1914-2004)
(32) グンダカル (b.1949)
(33) ヨハン (b.1993)
(34) ガブリエル (b.1998)
(35) アルフレート (b.1951)
(36) カール (b.1955)
(37) フーゴー (b.1964)
ハインリヒ (1916–1991)
(38) ミヒャエル (b.1951)
(39) クリストフ (b.1956)
(40) カール (b.1957)
カール (1878-1955)
(41) ヴォルフガング (b.1934)
(42) レオポルト (b.1978)
(43) ローレンツ (b.2012)
エドゥアルト (1809-1864)
アロイス (1840-1885)
フリードリヒ (1871-1959)
アロイス (1898-1943)
(44) ルイトポルト (b.1940)
(45) カール (b.1978)
アルフレート (1900-1972)
アレクサンダー (1929-2012)
(46) クリスティアン (b.1961)
(47) アウグスティヌス (b.1992)
(48) ヨハンネス (b.1995)
(49) シュテファン (b.1961)
(50) ルーカス (b.1990)
(51) コンラート (b.1992)
(52) エマヌエル (b.1964)
(53) ヨーゼフ (b.1998)
関連項目
脚注
^ “A Brief History of the Princely House of Liechtenstein ”. Embassy of Liechtenstein in Washington, D.C.. 16 February 2013 閲覧。
^ “House Laws ”. Princely House of Liechtenstein. 2012年6月15日時点のオリジナル よりアーカイブ。2013年2月16日 閲覧。
^ a b c “The Succession to the Throne ”. Princely House of Liechtenstein. 16 February 2013 閲覧。
^ Eccardt, Thomas M. (2005). Secrets of the Seven Smallest States of Europe: Andorra, Liechtenstein, Luxemborg, Malta, Monaco, San Marino, and Vatican City . Hippocrene Books. ISBN 0781810329
^ Report of the Human Rights Committee: Vol. 1: Seventy-ninth session (20 October - 7 November 2003); eightieth session (15 March - 2 April 2004); eighty-first session (5-30 July 2004) . United Nations Publications. (2004). ISBN 9218101722
^ Report of the Committee on the Elimination of Discrimination Against Women: Thirty-seventh Session (15 January-2 February 2007), Thirty-eight Session (14 May-1 June 2007), Thirty-ninth Session (23 July-10 August 2007) . United Nations Publications. (2007). ISBN 9218200275
^ Pancevski, Bojan (19 November 2007). “No princesses: it’s men only on this throne ”. Princely House of Liechtenstein. 16 February 2013 閲覧。