リップ・ロジャース("Hustler" Rip Rogers、本名:Mark Sciarra、1954年2月7日[1] - )は、アメリカ合衆国のプロレスラー。インディアナ州セイモア出身。
ゲイのギミックを用い、試合前に手鏡と櫛を持ち出し、リング上で髪の毛を梳いたり、腰を振ったり、対戦相手やレフェリーにキスを迫ったりするなどのキャラクターを演じた。髪はブロンドの長髪、コスチュームもピンクで統一していたが、先達のリッパー・コリンズなどと異なり、髭を生やしていたのが特徴だった[2]。
来歴
セイモアの高校時代はアメリカンフットボールと野球で活動。奨学金でインディアナ大学に進み保健体育の学士を取得。卒業後は母校のフットボールのコーチになり、その一方でボディビルディングを始め、ケンタッキー、インディアナ、セントラル・ジュニアなどの中西部地区の大会で優勝した[2]。
1975年にデビュー[3]。ザ・ディスコ・キッドなどのリングネームでインディアナポリスのWWA(ウィリアム・アフィルス主宰)やミッドアメリカ地区にてキャリアを積んだ後、1979年下期より太平洋岸北西部のパシフィック・ノースウエスト・レスリング(PNW)にてリップ・ロジャースと改名[4]。1980年にはロディ・パイパーやリック・マーテルとも対戦した[5]。1981年から1982年にかけては、ランディ・サベージの父アンジェロ・ポッフォが主宰していたレキシントンのインターナショナル・チャンピオンシップ・レスリング(ICW)に参戦している[6]。
以降、1980年代はアラバマのサウスイースタン・チャンピオンシップ・レスリング(SECW)、ジョージアのジョージア・チャンピオンシップ・レスリング(GCW)、テネシーのコンチネンタル・レスリング・アソシエーション(CWA)など南部を転戦。SECWでは1983年11月と12月にケン・ルーカスらを破り、USジュニアヘビー級王座を2度獲得[7]。CWAでは1987年5月19日、メンフィスにてダッチ・マンテルからミッドアメリカ・ヘビー級王座を奪取している[8]。
1988年5月、全日本プロレスに初来日[9]。ダニー・スパイビーとのタッグなどで活躍した。1990年新春の再来日では、1月15日に小橋健太試練の七番勝負の相手を務め、28日にはジャイアント馬場とシングルマッチで対戦した[10]。馬場はロジャースのパフォーマンスに対して「ショーマンシップをはき違えている」と立腹し、もう招聘しないつもりでいたが、ファンからの再来日の要望が多く寄せられたことで、考えを改め再び招聘している。
1990年代はジョバーとしてWCWに出場し、スティング、レックス・ルガー、スタイナー・ブラザーズ、ダスティン・ローデス、リッキー・モートン、エル・ヒガンテ、ブライアン・ピルマン、ロビーV、カクタス・ジャック、デイビーボーイ・スミス、ロン・シモンズらと対戦[11][12]。1992年3月にはW★INGプロモーションに来日[13]。1995年2月にはWWFにおいてもアダム・ボムやスモーキン・ガンズ(ビリー・ガン&バート・ガン)のジョバーを務めた[14]。その後はルイビルのOVWを主戦場に活動し、2004年に引退した[3]。
得意技
獲得タイトル
- ビッグ・タイム・レスリング
- インターナショナル・チャンピオンシップ・レスリング
- サウスイースタン・チャンピオンシップ・レスリング
- ジョージア・チャンピオンシップ・レスリング
- NWAナショナル・タッグ王座 : 1回(w / テッド・オーツ)[15]
- コンチネンタル・レスリング・アソシエーション
- NWAミッドアメリカ・ヘビー級王座 : 1回[8]
- セントラル・ステーツ・レスリング
- NWAセントラル・ステーツ・TV王座 : 1回[16]
- アトランティック・グランプリ・レスリング
- AGPWインターナショナル・ヘビー級王座 : 2回[17]
- ワールド・レスリング・カウンシル
- オハイオ・ヴァレイ・レスリング
入場曲
脚注
外部リンク