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フレデリク・ウェイン・ハニカット(Frederick Wayne "Rick" Honeycutt, 1954年6月29日 - )はアメリカ合衆国・テネシー州チャタヌーガ出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打、野球指導者。
1976年のMLBドラフト17巡目(全体405位)でピッツバーグ・パイレーツから指名され、プロ入り。
1977年8月にデーブ・パガン(英語版)とのトレードで、シアトル・マリナーズへ移籍した。直後の8月24日にメジャーデビュー。翌1978年からは先発ローテーション入りし、創設期のマリナーズを支えた。1980年にはオールスターに初選出された。
1980年12月12日に大型トレードで、テキサス・レンジャーズへ移籍した(トレードの内訳:ハニカットと、ラリー・コックス(英語版)、ウィリー・ホートン、マリオ・メンドーサ、レオン・ロバーツ(英語版)がレンジャーズへ移籍。リッチー・ジスク(英語版)、リック・オアーバック(英語版)、ケン・クレイ(英語版)、ジェリー・ドン・グレートン(英語版)、ブライアン・アラード(英語版)、スティーブ・フィンチがマリナーズへ移籍)。
1983年はオールスターに2度目の選出を果たし、後述のトレードまで14勝・防御率2.42の成績を残していた。この時点ですでに最終的な規定投球回に達しており、最終的にアメリカンリーグでそれを上回る投手がいなかったため、「シーズン終了時点でリーグに所属していないのに最優秀防御率のタイトル獲得」という珍事となる。
1983年8月19日にデーブ・スチュワート、リッキー・ライト(英語版)とのトレードで、ロサンゼルス・ドジャースへ移籍した。
1987年8月29日にティム・ベルチャーとのトレードで、オークランド・アスレチックスへ移籍した。
翌1988年以降は先発登板は無く、完全にリリーフに転向した。1989年には世界一を経験した。
1993年にアスレチックス退団後は1994年にレンジャーズ、1995年には再びアスレチックスとニューヨーク・ヤンキース、1996年からはセントルイス・カージナルスと移籍を繰り返し、1997年に引退した。
引退後は2002年から2005年までドジャース傘下で投手コーディネイターを歴任[1]。2006年にはドジャースの投手コーチに就任し、2019年まで14年間務めた。シーズン終了後からはフロント入りする[2]。
選手 02 トニー・フィリップス 04 カーネイ・ランスフォード 07 ウォルト・ワイス 09 マイク・ガイエゴ 12 ランス・ブランケンシップ 14 ストーム・デービス 19 ジーン・ネルソン 21 マイク・ムーア 24 リッキー・ヘンダーソン 25 マーク・マグワイア
28 スタン・ハビアー 33 ホセ・カンセコ 34 デーブ・スチュワート(シリーズMVP) 35 ボブ・ウェルチ 36 テリー・スタインバック 39 デーブ・パーカー 40 リック・ハニカット 42 デーブ・ヘンダーソン 43 デニス・エカーズリー 44 ケン・フェルプス 54 トッド・バーンズ
監督 10 トニー・ラルーサ コーチ 05 アート・カッシュナー(ブルペン) 08 デーブ・マッケイ(一塁) 15 レネ・ラッチマン(三塁) 18 デーブ・ダンカン(投手) 45 マーブ・レッテンマンド(打撃) 46 トミー・レイノルズ(ベンチ)
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