ライ (英 : Rye )は、イングランド のイースト・サセックス にあるロザー 地区に位置する行政教区 (Civil parish ) の小さな町である。海岸から 3.2キロメートル (2.0 mi) 離れた[ 2] [ 3] 、ロザー川 (英語版 ) 、ティリンガム川 (英語版 ) 、ブリード川 (英語版 ) の3河川の合流点にあたる[ 4] [ 5] 。中世 のライは、イギリス海峡 の湾の形成するなかにあって、ほぼすべて海に囲まれており、シンク・ポーツ (英語版 ) 連合の重要な1港となっていた。ライは海との歴史的関係において、戦争の際に王に貢献する船の提供のほか、密輸との関わりなども知られる。悪名高い密輸組織ホークハースト・ギャング (英語版 ) は、秘密の通路でつながるといわれる古くからの宿泊施設(イン 、Inn)であるザ・マーメイド・イン (英語版 ) (The Mermaid Inn) や[ 6] ジ・オールド・ベル・イン (英語版 ) (The Olde Bell Inn〈Ye Old Bell Inn〉) を利用していた[ 7] 。そういった歴史の流れと趣のある今日のホテルやレストランなどから、ライは観光の町を形成している[ 8] 。また、小型船のほか、ライ・ハーバー (英語版 ) にはヨットやその他船舶のための施設がある。2011年 の国勢調査 においてライの人口は4225人であり、2019年 6月末の推計では4802人となっている[ 1] 。
歴史
近隣のケント 一帯とともに示された湾内にある中世のライの位置
ライ (Rye) の名は、「島 (island) 」を意味するウェストサクソン方言 の ieg に由来し[ 9] 、Rye は中英語 の atte (at the) の形態の1つである atter の -r が付属した「その島での (at the island) 」の意とされる[ 10] 。島のような岬状であり[ 11] 、中世の地図によれば、ライはかつてイギリス海峡 のライ・キャンバー (Rye Camber) と呼ばれる巨大な湾のなかに突き出て、安全な港湾および停泊地をもたらしていた。ローマ帝国 時代初期には、近郊のウィールドの製鉄業 (英語版 ) の鉄生産がなされており[ 12] 、ライはその舶載出荷と[ 13] 保管の要地の1つであった[ 14] 。
ライは、ラムズリー (Rameslie) のサクソン荘園 の一部として、王エゼルレッド2世 (在位978 -1013年 、1014 -1016年 )より、デーン人 (デンマーク 王 スヴェン [ 15] 〈スウェイン[ 16] 〉)の侵攻から保護される見返りに、ノルマンディー のフェカン のベネディクト会 修道院(フェカン修道院 (英語版 ) )に譲渡され[ 13] [ 17] 、ヘンリー3世 (1216 -1272年 )の時代の1247年 までノルマンの支配に留まることとなった[ 18] 。
ザ・マーメイド・イン (英語版 ) (The Mermaid Inn) などが並ぶマーメイド・ストリート (Mermaid Dt.)
12世紀 、ライとウィンチェルシー は、‘Antient Townes’として[ 4] シンク・ポーツのヘイスティングス に属するようになり、ヘンリー2世 (在位1154 -1189年 )が亡くなる1189年には、シンク・ポーツ連合に正規に加わった[ 19] 。交易による取引のため、シンク・ポーツの1港としてライの町は非常に重要であった。当初のザ・マーメイド・インは1156年 にさかのぼる[ 6] (1420年 再建[ 20] )。
ヘンリー3世の命令により、1249年 にフランスの侵略から町を守るために、‘Baddings Tower’(ライ城 )として建てられたイプラ・タワー (Ypres Tower) は[ 18] 、ライで最も古い建造物の1つであり、これは後の1430 -1493年 に所有者であったジョン・ド・イプラ (John de Ypres) にちなんで名付けられた。1493年から1865年 までは刑務所として使用された[ 21] 。現在はライ城博物館 (Rye Castle Museum) の一部である[ 22] 。
ライは、1289年 にエドワード1世 (在位1272-1307年 )より憲章を受け、王の船の提供の見返りとして特権と免税を得た。ライの入口の防備にかつて構築された4か所の門塔 (Landgate、Strand Gate、Baddings Gate、Postern Gate) のうちの唯一残存する「ランドゲート (Landgate) 」は[ 3] 、エドワード3世 (在位1327 -1377年 )の統治初期の1329年 頃にさかのぼる。中世ライの中心地に至る北の通路にあたり[ 23] 、2015年 には、歴史的建造物の損傷を防ぐためにランドゲートのアーチ に堆積したハト の糞 、約25トン を取り除く作業が行なわれた[ 24] 。
ライ城 「イプラ・タワー」
(Ypres Tower)
門塔「ランドゲート」(Landgate)
漁船などが停泊するロザー川
ロザー川はかつて東方に向かって流れ、現在のニューロムニー (英語版 ) の近海に注いでいた。しかし、13世紀 の大嵐(特に1250年 や1287年 )が、海から町を分断し[ 2] 、オールド・ウィンチェルシー を破壊して、ロザー川の流路を変えた。その後、1375年 頃には海と川が合流して町の東部を破壊し、船舶は現在のストランド (the Strand) 地域を利用して荷を降ろすようになった。
1377年には、フランスのシャルル5世 により町が攻撃され[ 25] 、多くが焼き払われたことから[ 2] [ 3] 、外国の襲撃に対する防御として町の防壁を完成するよう指示がなされ[ 26] 、町の防壁は、14世紀のうちに門塔につながるように構築された[ 27] 。
ライは、シンク・ポーツの最優良港の1つと見なされていたが、河川および港が次第に沈泥(シルト )で浅くなるのを抑えるために、絶え間のない作業が必要であった。沈泥によってロムニー・マーシュ (英語版 ) (マーシュ〈Marsh〉は「湿地」の意)や[ 2] ウォランド・マーシュ (英語版 ) が形成されるようになると、海が次第に埋まり開拓され、港の堆積を抑える潮の流れが減少した[ 28] 。
より大きな船舶およびより水深の深い港の到来とともに、ライの景気の衰退が始まると、漁業ならびに特に密輸 (Owling 、ウール 〈羊毛〉の密輸など)が重要なものとなった。エドワード1世以来、ウールに関税を課したことで密輸が発展していた[ 13] 。17世紀 末にはウールはケントやサセックス 全体にわたって最大の商品となった。別の高級品にも関税が課せられるようになると、やがて密輸は犯罪として追われ[ 29] 、ライのザ・マーメイド・イン(イギリス指定建造物 2級〈Grade II〉1985年 3月15日指定[ 30] )で落ち合っていたホークハースト・ギャング(1735 -1749年 [ 29] )などの集団は殺人に転じ、後に絞首刑 に処せられた。
ライ近郊の運河の景観
1803 -1804年 には、ナポレオンの侵攻 の脅威のなか、ライ、ドーバー 、チャタム の3港周辺が最も侵攻の可能性が高いと見なされ[ 31] 、ライはロイヤル・ミリタリー運河 (英語版 ) により西部の拠点となった。運河は1804年10月から1808 [ 32] -1809年 にかけて構築された[ 33] 。ハイズ (英語版 ) 辺り(シーブルック (英語版 ) )から[ 32] [ 34] ペット・レベル (Pett Level ) まで計画されたが、完全には完成しなかった。
1803年 以降、救難艇 (救命艇、Lifeboat)がライに配置されたが[ 35] 、現在、救難艇の拠点は町の下流に位置するライ・ハーバーにある[ 36] 。そのライ・ハーバーの王立救命艇協会 (Royal National Lifeboat Institution , RNLI) 史上最悪の単一船艇における惨事は、20世紀 の1928年 11月15日に起こり、メアリー・スタンフォード (英語版 ) が総員17人とともに沈没した[ 37] [ 注 1] 。ライ・ハーバーには当時の艇庫が今に残り[ 38] 、その惨劇の記録としてライ・ハーバー教会 (Rye Harbour Church) に記念碑が建立されている[ 39] 。2010年 以来、王立救命艇協会 (RNLI) はライ・ハーバーにおいてアトランティック85級 (英語版 ) の沿岸救命艇を運航している[ 36] 。また、1696年 から1948年 の間には、イギリス海軍 の艦船6隻が、HMSライ (HMS Rye ) と命名されている。
かつてのライ・ハーバー救命艇庫
1995年に建てられたライ・ハーバーの救命艇庫
ライ・ロイヤル
ライは、シンク・ポーツ連合の1港であり[ 40] 、海峡沿岸部の侵攻に対する防御拠点であり、常に王家との密接な関係があった。エドワード3世とエドワード黒太子 は、1350年 にライ湾 (Rye Bay) におけるウィンチェルシーの海戦 (レ・ゼスパニョール・シュール・メール〈Les Espagnols sur Mer〉の海戦)において、「海上のスペイン人」(レ・ゼスパニョール・シュール・メール)の艦隊を破り[ 41] 、また、エリザベス1世 (在位1558 -1603年 )は、1573年 にシンク・ポーツ連合のライを訪れ、町に「ライ・ロイヤル」という名を与えた[ 42] [ 43] 。また、ジョージ1世 (在位1714 -1727年 )は、1726年 に激しい嵐に遭ったためにキャンバー (英語版 ) より上陸し[ 44] 、ライで過ごした際に、町長のジェームズ・ラムによりラム・ハウス (英語版 ) (1722年 築[ 45] 、イギリス指定建造物2*級〈Grade II*〉1952年 3月25日指定[ 46] )に4夜滞在した[ 47] 。エリザベス2世 (在位1952年-)は、1966年 にフィリップ王配 とともに公式訪問し[ 48] 、その後、1980年 にもライを訪れている[ 44] 。
人口
現代の行政教区ライの人口の推移。
行政
歴史的に、ライは1289年 の憲章に基づき統治権が付与された独立自治区であり、独自に任命された町長 (Mayor ) と選任裁判官(治安判事 〈Magistrates 〉)がいた。これらの独立権は1972 -1974年 の地方自治体法 (英語版 ) により終了し、地方行政教区 (農村パリッシュ、rural parish)と見なされるが、歴史的にライの管理機関となるタウン評議会 (英語版 ) は、正式にはパリッシュ評議会 (英語版 ) である[ 4] 。評議会は1つの選挙区より16人の議員が選出され[ 4] 、うち1人がライの町長に選出される[ 51] [ 52] 。また、タウン評議会とは別に、地方自治機能の多くは、ベクスヒル=オン=シー に本部があるロザー地区評議会 (英語版 ) およびルイス に拠点を置くイースト・サセックス州議会 (英語版 ) により実行されている。
かつてのライ町庁舎 (Rye Town Hall) は、1377年のフランスの襲撃により焼失したが[ 53] [ 54] 、ライには13世紀にさかのぼる町長の記録が残されている[ 55] 。また、1742年 に建てられた現町庁舎には[ 56] 、ライの過去の凄惨な2つの遺物として、1742年に地元の殺人犯ジョン・ブレッズ (John Breads) を絞刑に処して遺体をさらすために使用された有名なギベット (英語版 ) ・ケージ (Gibbet Cage ) や[ 57] [ 58] 、1813年 にフランスの将軍フィリポン (英語版 ) の脱出を補助した地元パブ の主人に最後に使用されたさらし台 のライ・ピロリー (Rye Pillory) が保存されている[ 53] [ 54] 。
1838年 から[ 59] 1889年 にかけて、ライは自治区独自の警察を保持していた。それは小隊であり、一時は2名の警官しかいなかった。ライの警察は、ボンファイヤー・ナイト (英語版 ) (焚き火 の夜〈11月5日〉)によく問題が発生し、ボンファイヤーの集団が引き起こす事件に対処するため、特別警察官が採用された。1889年 に郡の部隊と併合された後、チャーチ・スクエア (Church Square) に新たな警察署が設けられ、1892年 、併合された町の警察には、巡査長1名および巡査3名が在籍していた[ 60] 。この警察署は1967年 に閉鎖され、シンク・ポーツ・ストリート (Cinque Ports Street) に新しい警察署が開設された[ 61] 。
地理
急坂の路面に敷石されたマーメイド・ストリート (Mermaid St.)
ライオン・ストリート (Lion St.) からのセント・メアリー教会
ライはウィールド (英語版 ) (Weald) の砂岩 の高地「ハイ・ウィールド」が海岸に至る地点に位置する。大きな湾が存在した中世の海岸線は、船舶が港に到達するのを可能にしていた。かつてのロザー川の流れは、北東のロムニーの海域に注いでいた。その後、13世紀のイギリス海峡の嵐が湾を埋めるとともに、海岸伝いに漂砂 を介して莫大な量の砂利をもたらし、港の入口を塞いでいった。川の流路においても何世紀もかけて変化し、ライは現在、ティリンガム川とブリード川がロザー川と合流する地点上に位置しており、川は南に向かいライ湾に流入している。ロザー川ならびにライ・ハーバーの周辺地域は、環境庁 (英語版 ) (Environment Agency, EA) により管理・維持されている[ 62] 。また、ブリード川とロザー川はウィンチェルシーとアイデン・ロック (Iden Lock) 間のロイヤル・ミリタリー運河の一部を形成している。
ライはまた、重要な自然保護区 がある学術研究上重要地域 (英語版 ) (Sites of Special Scientific Interest; SSSI) の中心にあたり、地域自然保護区 (英語版 ) (Local Nature Reserve; LNR) であるライ・ハーバー LNR (英語版 ) (465ha [ 63] ) を含むライ・ハーバー SSSI (英語版 ) (9137ha[ 64] ) が南にある[ 65] [ 66] 。
ライの町はイングランド南東部の最も遠くかつ人口の少ない地域にあり、ロムニー・マーシュの端、海からはおよそ3キロメートルに位置する。町の一角には、かつての険しい高台(城塞)にある数少ない居住区ならびにセント・メアリー 教区教会 、イプラ・タワーや防壁の一部、それにマーメイド・ストリート (Mermaid Street)、ウォッチベル・ストリート (Watchbell Street)、チャーチ・スクエアにある多くの家屋など歴史的な構造物がある。1815年 に取り壊された[ 67] [ 68] 下方のストランド・ゲート (Strand Gate) まで続いていた[ 69] マーメイド・ストリートの家屋は、ほとんど15 -17世紀に建てられたものである[ 67] 。
幹線道路 (A259 (英語版 ) ) のウィンチェルシー・ロードは[ 70] 、ロザー川を渡ると南に向かって町の縁沿いを走り、町界を離れる手前でブリード川と平行して走るニュー・ウィンチェルシー・ロード、かつてのロイヤル・ミリタリー・ロードに通じている。ニュー・ウィンチェルシー・ロード沿いの家屋は、1930年代 にロイヤル・ミリタリー運河の掘割に建てられた。ライの住民の多くは城塞区域の郊外に住んでいる。
教会
ライの教会は、ライ最古の建物である[ 21] ノルマン様式 によるイングランド国教会 教区教会のセント・メアリー教会 (聖母マリア教会 、Church of St Mary the Virgin)のほか[ 71] 、シンク・ポーツ・ストリートにある1909年 のライ・バプテスト教会 (Rye Baptist Church) 、1929年 に改築されたローマカトリック教会 のパドヴァの聖アントニオ教会 (英語版 ) (St Anthony of Padua's Church、Church of St Anthony of Padua)、それにライ・メソジスト 教会 (Rye Methodist Church) もある[ 72] 。ミリタリー・ロード (Military Road) には2018年 まで使用された1858年 のベテル礼拝堂 (Bethel Chapel〈Bethel Strict Baptist Chapel〉) があった[ 73] 。また、ライ・ハーバーにはイングランド国教会の聖霊教会 (Church of the Holy Spirit) がある。
セント・メアリー教区教会
セント・メアリー教会の時計の文字盤と「クォーター・ボーイ」
イースト・サセックス大聖堂 (the Cathedral of East Sussex) とも称される[ 74] [ 75] 。イングランド国教会。イギリス指定建造物1級 (Grade I) 1951年 10月12日指定[ 76] 。フェカン修道院の支配時、修道院長ウィリアム・ド・ロス (William de Ros) により創設された[ 75] 。この十字形の大きな建物の主要部(内陣 ・クロッシング 〈交差塔〉・袖廊 ・身廊 )は1150 -1180年 にさかのぼる。12世紀末に南・北の通路、13世紀の1220 -1250年に南・北の付属礼拝堂 が追加された[ 76] 。1377年にはフランスの襲撃により甚大な被害を受け、教会の鐘はフランスに持ち去られた[ 74] 。15世紀に内陣の南東の端にフライング・バットレス (飛梁)が加えられている[ 76] 。1561 -1562年 頃に新たに設置された時計は、今もなお教会の時計台 で使われている国内最古の塔時計 (英語版 ) (タレット・クロック)の1つとされる[ 74] [ 75] 。4分の1 時の鐘を鳴らす2体の「クォーター・ボーイ (Quarter Boys)」は1760年 に追加された[ 74] 。現在、これらは礼拝堂に保存され、文字盤の上には1969年 に設置されたレプリカ がある[ 75] 。また、現在の8口の鐘は1775年 に鋳造され[ 74] 、揺れる振り子は1810年 に追加された[ 75] 。現在のステンドグラスのほとんどは19世紀 末から20世紀のものであり[ 77] 、それ以前のものはない[ 75] 。
セント・メアリー教会内
セント・メアリー教会 (チャーチ・スクエア)
バプテスト教会
旧ライ・パティキュラー・バプテスト礼拝堂 (英語版 ) (クエーカー ・ハウス)
マーメイド・ストリートにある旧ライ・パティキュラー・バプテスト礼拝堂 (英語版 ) (Rye Particular Baptist Chapel、クエーカー・ハウス、Quaker's House〈イギリス指定建造物2級 (Grade II) 1951年10月12日指定〉[ 78] )は、1704年 に始まる古いクエーカー の集会所の敷地にあった建物を再建した[ 79] 1750年代 からの礼拝堂であった[ 80] [ 81] 。シンク・ポーツ・ストリートにある1909年 に建てられたバプテスト教会に[ 80] 1910年 より移転した[ 81] 。
パドヴァの聖アントニオ教会
ローマカトリック教会。イギリス指定建造物2級 (Grade II) 2010年2月22日指定。ウォッチベル・ストリートにある現在の教会は、1900年 の聖ワルプルガ (英語版 ) 教会に代わり、1927 -1929年 にフランシスコ会 のために建てられた[ 82] [ 83] 。
メソジスト教会
1756年 に始まり、ジョン・ウェスレー が1758年 に初めてライを訪れた後、1789年 にメソジスト礼拝堂を設立した[ 84] 。1814年に改築されたが、第二次世界大戦の爆弾により破壊された。その後、礼拝堂の敷地が売却され、セント・メアリー教会の敷地となった。現在のメソジスト教会は1954年に完成した[ 85] 。
ベテル礼拝堂
1858年に建てられたバプテスト礼拝堂であるが、2018年12月に閉鎖され、その後、14万ポンドで売りに出された[ 73] [ 86] 。
聖霊教会(ライ・ハーバー)
イングランド国教会。イギリス指定建造物2級 (Grade II) 1987年 5月13日指定。1848 -1849年 にS・S・チューロン (英語版 ) により14世紀 のゴシック様式 (ゴシック・リヴァイヴァル建築 )として構築された。教会内に1928年11月25日のメアリースタンフォード号など救命艇に関するものがある[ 87] 。
経済
ライは何世紀にもわたり、貨物集散地 (Entrepôt ) の港、海軍基地 、漁港 、農業 の中心地、それにマーケットタウン でもあった。そしてライは今日、歴史的な建物や町並が旅行者を引きつけ、多くの観光客が訪れており、観光にも大きく依存している[ 90] 。かつての防壁内にある古い町角には、小売店、ギャラリー 、レストランなどがある。
ライおよびライ・ハーバーは、港としての活動を継続している。ライの漁船は、略号 RX(‘R’ ye〈ライ〉、Susse ‘x’〈サセックス〉、この登録コードはヘイスティングスの漁船にも使用される)であり、常時魚が陸揚げされる。漁獲の一部は船着場付近で販売されるが、ほとんどは地域市場を通じて販売されている。
ライ・ハーバーのライ埠頭(Rye Wharf、ラストラム埠頭〈Rastrums Wharf〉)は、1996年 以降に改修され[ 91] 〉日中に最大90メートル (300 ft) の大型船を接舷できる[ 92] 。ただし、商業貨物輸送(主に石材〈骨材 ・砕石 〉の移入と穀物〈製粉コムギ 〉の移出)の最盛期であった1980年代 初頭、1982年 にライ・ハーバーを使用した船舶の数は230隻におよんでいたが、2009年 には54隻に推移している[ 93] 。
交通
ライ・アンド・キャンバー・トラムウェイ (英語版 ) の軽便鉄道 路線図
18世紀 後半、ライは道路機構ターンパイク・トラスト と関係を結んだ。そのうちの1路線であるフリムウェル (英語版 ) のターンパイクはロンドンに至り[ 94] 、もう1路線はヘイスティングスから町を経て東に走った。これら2本の道路が今日の A268 および A259 である。ロザー川に架かるモンク・ブレットン橋 (英語版 ) は、1893年 に建設され[ 95] 、ブレンゼット (英語版 ) を経由してライとニューロムニーを結んだ。第二次世界大戦 (1939 -1945年 )以前、ライは19世紀末(1895年 )よりライ・アンド・キャンバー・トラムウェイ (英語版 ) (軽便鉄道 [ 96] )の発着点にもなり、ゴルフ場および海岸のキャンバー・サンズを結ぶために敷設されていたが、第二次世界大戦の勃発により一般の運行はなくなり、戦後も再開されることなく[ 97] 、1947年 に廃棄された。
ライ駅 (英語版 ) 駅舎正面
バスは、30分毎のドーバー-ヘイスティングスを結ぶステージコーチ (英語版 ) の長距離バスに加えて、ライとテンタデン (英語版 ) 、ヘイスティングス、ロイヤル・タンブリッジ・ウェルズ (英語版 ) などの町村をつないでいる[ 98] 。1851年2月に開通した鉄道路線のライ駅 (英語版 ) は[ 99] 、ヘイスティングス駅 -アシュフォード国際駅 間のマーシュリンク線 (英語版 ) にある。この1850年 に設営されたライ駅の駅舎は[ 99] 、イギリス指定建造物2級 (Grade II) に指定されている(1980年4月11日指定)[ 100] 。
フットパス
いくつかの長距離フットパス (Long-distance footpaths ) が、歩行路としてライの町をつないでいる。「サクソン・ショア・ウェイ (英語版 ) 」は、ケントのグレーブズエンド (英語版 ) に始まり、ローマ時代 の海岸地方をたどるもので、ヘイスティングスに向かう途中ライを通過する[ 101] 。「1066・カントリー・ウォーク (英語版 ) 」は、ライよりペヴェンジー に続いており[ 102] [ 103] 、「ハイウィール・ドランドスケープ・トレイル (英語版 ) 」は、ホーシャム に通じている[ 104] [ 105] 。また、「ロイヤル・ミリタリー・キャナル・パス (Royal Military Canal Path) 」は、ペット・レベルよりロイヤル・ミリタリー運河をシーブルックにかけてたどる[ 106] 。
教育
オールド・グラマー・スクール (トマス・ピーコック・スクール)
ライ・カレッジ (英語版 ) は、ライにある中等教育学校 (Secondary School ) である。2008年 以前は、トマス・ピーコック・コミュニティ・カレッジ (Thomas Peacocke Community College) と称された。1969年にライ・グラマースクール とライ・セカンダリーモダンスクール (英語版 ) が統合され、トマス・ピーコック・スクール (Thomas Peacocke School) と呼ばれた後、コミュニティ・カレッジとなった[ 107] 。1636年 [ 108] 、トマス・ピーコックによりグラマー・ハウス(グラマースクール)が建てられ、その後、学校として1644年 より1908年 まで使用されていた[ 109] 。
小学校 (Primary school ) のティリング・ガーデン・インファント・スクール (英語版 ) (Tilling Green Infant School) と[ 110] フレダ・ガーダム・コミュニティ・スクール (Freda Gardham Community School)[ 111] の2校は、ライ・カレッジに隣接して[ 112] 2008年9月に開校した新しい小学校、ライ・コミュニティ・プライマリースクール (Rye Community Primary School) に統合された[ 113] 。
文化
ハイ・ストリート (High St.)
ライの週に一度の市場 として開かれるライ・ファーマーズマーケット は、毎週水曜日の午前にシンク・ポーツ・ストリートの一角で催される[ 114] [ 115] 。マーケット・ストリート (Market Street) は中世の市場の一部であった[ 116] 。1859年 に鉄道の近くに開設されたライの市場においては、1980年代まで[ 117] 、長きにわたって家畜の販売が頻繁に行われていた[ 118] [ 注 2] 。
ライは、地元のロムニー・マーシュやウォランド・マーシュ地域の商業中心地のみならず、観光地でもある。ライは、骨董品、収集書籍などを扱う小売店街として定評があり、それに地元の芸術家や陶芸家の作品を販売する多くのギャラリーが通年出展を変えて開かれている[ 119] 。ハイ・ストリート (High Street) に位置するライ・アート・ギャラリー (Rye Art Gallery) は、1957年 にトラスト として設立された[ 120] 。芸術家のメアリー・ストーモント (英語版 ) (Mary Stormont、1871 -1962年 )と夫のハワード・ガル・ストーモント(Howard Gull Stormont、1859 -1935年 )の住居であったかつてのイプラ・スタジオ (Ypres Studio) が遺贈され、所蔵作品とともにギャラリーには現代の芸術作品が展示されている[ 121] 。ライ城博物館は、イースト・ストリート (East Street) とイプラ・タワーの2か所にある[ 22] 。
さらに、ライにはオースト・ハウス があり、それらの多くは個人の住居に改築されているが、Cadborough Oast(イギリス指定建造物2級〈Grade II〉2018年9月5日指定)といった建造物が認められ[ 122] 、その農場 Cadborough Farm に由来し、何世紀にもわたって作られたライ陶器 (英語版 ) (Cadborough Pottery) でも知られる[ 123] 。
年中行事
2003年以来毎年2月に、‘Rye Bay Scallop Festival’[ 124] (ライ湾ホタテ祭〈‘Rye Bay Scallop Week’[ 125] 、ライ湾ホタテ週間〉)が催される[ 125] 。地元のホタテ(Scallop 〈イタヤガイ類 〉)漁は、保全のため11-4月には漁獲量などが制限されている[ 126] 。
毎年9月には「ライ芸術祭 」(‘Rye Arts Festival’) として、音楽、演劇、映画、文学、視覚芸術などの多彩な作家や演者を招き[ 127] 、2週間にわたって開催される[ 128]
11月の第2土曜日には、‘Rye Bonfire Pageant’(「ライ・ボンファイヤー〈焚き火〉行列」)が例年催される[ 129] 。通行止めとなった町の通りをパレード し、たいまつ に火をつけ、その後、花火大会が行われる[ 130] 。
スポーツ
ライにはソルツ (Salts) を本拠地とする[ 131] ノンリーグ・フットボール (英語版 ) クラブのライ・タウンFC (Rye Town F.C.) がある。このイースト・サセックス・フットボールリーグ (英語版 ) でプレーする新たなクラブ(2016年 結成)は[ 132] 、2014年に解散したサセックス・カウンティ・リーグ (Sussex County League ) のライ・ユナイテッドFC (英語版 ) に代わって設立された[ 133] 。また、ライにはラグビー クラブとして1991年に設立したライRFC (Rye RFC) がある[ 134] 。このラグビークラブおよび競技場はニュー・ロード (New Road) に位置する[ 135] 。1754年 に創設された最も古いクリケット ・クラブの1つとされるライ・クリケット・クラブ (Rye Cricket Club) は[ 136] 、1844年 よりソルツを本拠地としている[ 137] 。
ライの著述と居住
いくつかの町についての記述が、16世紀 から18世紀に著名な紀行作家によりなされている。ロバート・ナントン (英語版 ) (1563 –1635年 )は、1628 -1632年 に出版された著書 “Travels in England ”(イングランド旅行)で、ライを「小さなイギリスの港町」(‘small English seaport’) と呼んでいる。到着後まもなく彼はフリムウェル (英語版 ) を経てロンドンに向かう駅舎についた。
ダニエル・デフォー (1660 –1731年 )は、港湾と入口の状態について「かつてイギリス海軍 を受け入れていた港湾がもとに戻れば、ライは再び繁栄するだろう」としつつも、再び大型船舶が入港できるようになることには懐疑的であった[ 138] 。
ラム・ハウス (英語版 )
ライは多くの小説家を引きつけ、取り上げられてきた[ 139] 。ジョゼフ・コンラッド (1857 -1924年 )はライのロムニー・マーシュに住み[ 140] 、フォード・マドックス・フォード (1873 -1939年)はウィンチェルシー[ 141] 、スティーヴン・クレイン (1871-1900年 )は1899 -1900年にライに住んでおり[ 142] 、またH・G・ウェルズ (1866 -1946年 )の居住も知られる[ 143] 。なかには今日ナショナル・トラスト が管理する町の歴史的家屋の1つであるラム・ハウスに居住した者もいる[ 144] 。アメリカ の小説家ヘンリー・ジェイムズ (1843 –1916年 )は、1898年 から1916年に居住していた。その友人でもあったイギリスの小説家E・F・ベンソン (英語版 ) (1867 –1940年 )も、1919年 から1940年にラム・ハウスに住み、1934 -1937年 には町長を務めていた[ 45] [ 47] 。E・F・ベンソンの一連の小説 “Mapp and Lucia ”(マップとルチア)では、ラム・ハウスを「マラーズ (Mallards )・ハウス」、ライの町を「ティリング (英語版 ) (Tilling ) 」として如実に描写されている。1980年代中頃、LWT (London Weekend Television ) によるテレビドラマ ・シリーズ Mapp & Lucia において、ライはウィンチェルシーとともに小説に応じた撮影場所として使われた[ 145] 。BBC One のテレビ番組 Mapp & Lucia は、2014年 の夏にライで撮影された[ 146] 。E・F・ベンソンの兄で「希望と栄光の国 」を作詞したA・C・ベンソン (英語版 ) (1862 -1925年 )も1919-1925年にラム・ハウス居住したことがある[ 139] 。ルーマー・ゴッデン (1907 –1998年 )もまた、1967年から1973年 までラム・ハウスの入居者であった[ 45] [ 147] 。
他の作家・著名人
ポール・ナッシュ が移り住んだ新居 (La Rochelle)
脚注
注釈
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参考文献
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外部リンク