ヨハン・レオポルト・フォン・ザクセン=コーブルク・ウント・ゴータ

ヨハン・レオポルト
Johann Leopold
ザクセン=コーブルク=ゴータ家
ザクセン=コーブルク=ゴータ公世子ヨハン・レオポルト(1916年)

全名
称号 ザクセン=コーブルク=ゴータ公世子
出生 (1906-08-02) 1906年8月2日
ドイツの旗 ドイツ帝国
ザクセン=コーブルク=ゴータ公国コーブルクカレンベルク城ドイツ語版
死去 (1972-05-04) 1972年5月4日(65歳没)
 オーストリアオーバーエスターライヒ州グラインドイツ語版
配偶者 フェオドラ・フォン・デア・ホルスト
  マリア・テレジア・ライントル
子女
父親 カール・エドゥアルト
母親 ヴィクトリア・アーデルハイト
宗教 キリスト教ルーテル教会
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ヨハン・レオポルト・フォン・ザクセン=コーブルク・ウント・ゴータドイツ語: Johann Leopold von Sachsen-Coburg und Gotha, 1906年8月2日 - 1972年5月4日)は、ドイツザクセン=コーブルク=ゴータ公国最後の公世子(Erbprinz

生涯

ザクセン=ゴーブルク=ゴータ公カール・エドゥアルトとその妻でシュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=グリュックスブルク公ヴィクトリア・アーデルハイトの間の長男(第1子)として生まれた。

第一次世界大戦中の1917年に父がイギリスのオールバニ公爵位を剥奪され、さらに1918年のドイツ革命で君主制が廃止されたため、どちらの爵位も継承することは出来なかった。

1932年3月9日にドレスデンニーダーゼトリッツドイツ語版において、フェオドラ・フォン・デア・ホルスト男爵夫人(Feodora Freiin von der Horst, 1905年 - 1991年)と結婚した。この結婚は帝国伯英語版Reichsgraf)以上の家柄との対等結婚の規定を定めたコーブルク公家の家内法に背いた貴賤結婚であり、ヨハン・レオポルトとその子孫は公爵家の家督相続権を剥奪された。フェオドラとは1962年に離婚し、翌1963年5月3日に平民のマリア・テレジア・ライントル(Maria Theresia Reindl, 1908年 - 1996年)と再婚した。

コーブルク公家の家長位は、ヨハン・レオポルトの末弟フリードリヒ・ヨシアスとその子孫が継ぐことになった。

子女

最初の妻フェオドラ・フォン・デア・ホルストとの間に2男1女を儲けた。

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