ヨハン・レオポルト・フォン・ザクセン=コーブルク・ウント・ゴータ(ドイツ語: Johann Leopold von Sachsen-Coburg und Gotha, 1906年8月2日 - 1972年5月4日)は、ドイツのザクセン=コーブルク=ゴータ公国最後の公世子(Erbprinz)。
生涯
ザクセン=ゴーブルク=ゴータ公カール・エドゥアルトとその妻でシュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=グリュックスブルク公女ヴィクトリア・アーデルハイトの間の長男(第1子)として生まれた。
第一次世界大戦中の1917年に父がイギリスのオールバニ公爵位を剥奪され、さらに1918年のドイツ革命で君主制が廃止されたため、どちらの爵位も継承することは出来なかった。
1932年3月9日にドレスデンのニーダーゼトリッツ(ドイツ語版)において、フェオドラ・フォン・デア・ホルスト男爵夫人(Feodora Freiin von der Horst, 1905年 - 1991年)と結婚した。この結婚は帝国伯(英語版)(Reichsgraf)以上の家柄との対等結婚の規定を定めたコーブルク公家の家内法に背いた貴賤結婚であり、ヨハン・レオポルトとその子孫は公爵家の家督相続権を剥奪された。フェオドラとは1962年に離婚し、翌1963年5月3日に平民のマリア・テレジア・ライントル(Maria Theresia Reindl, 1908年 - 1996年)と再婚した。
コーブルク公家の家長位は、ヨハン・レオポルトの末弟フリードリヒ・ヨシアスとその子孫が継ぐことになった。
子女
最初の妻フェオドラ・フォン・デア・ホルストとの間に2男1女を儲けた。
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