モホス
リャノス・デ・モホス (あるいは単にモホス 、スペイン語 : LLanos de Moxos / LLanos de Mojos 、MoxosあるいはMojosは複数形表現)とは、ボリビア共和国 、アマゾン地域 のベニ県 にある、先スペイン期 に構築された盛畑、土手道 、水路 、丘 などからなる広大な畑地帯である。この壮大な景色は、昨今、全体としてひとつの景観考古学 (英語版 ) としてとらえていこうという研究も行われている(Erickson など)。
リャノス・デ・モホスにはアマゾン川 水系のベニ川 、マモレ川 などの大きな川が流れ、沖積平野 が広がる。一帯にクロカイマン 、パラグアイカイマン 、コビトカイマン 、シンジュトビ (英語版 ) 、ミサゴ 、アメリカムナグロ 、コシジロウズラシギ 、ナンベイヒメウ 、マキバシギ 、アマサギ 、オオカワウソ 、ミズオポッサム 、オオアルマジロ 、ペルークロクモザル (英語版 ) 、ボリビアカワイルカ (英語版 ) などの動物が生息しており、ブランコ川 (スペイン語版 ) 、マトス川およびヤタ川 (スペイン語版 ) 流域はそれぞれラムサール条約 登録地である[ 1] [ 2] [ 3] 。
リャノス・デ・モホスのうち、80%はサバンナ や牧草地帯 で、93,000平方キロメートルあるという。残りの20%は、川 やセルバ (アマゾン熱帯雨林 )、湖 などからなるという(Denevan 1966)。乾季 と雨季 の繰り返しによって、浸水したり土地が乾いたりし、表土は粘土 質層及びシルト 層からなる貧栄養土のサバンナ地帯が多くを占めるが、その下のより有機物 の多い層を掘って盛り土するなどの耕地化、灌排水溝の整備により、過去には大規模な耕作が行われていたことが確認されている。この広大な田園地帯が構築された年代は、紀元前後ころからスペイン人 による征服ころまでと言われている。多くの湖が水深2メートル・四角形で2つ1組になるように作られており、人工的に作られた魚 の養殖 池だとも言われている。近年の実験では、水深2メートルにすると太陽の光による水面の熱と池底の冷水が上手く循環でき、また池を2つにすることで、ホテイアオイ を一面に浮かべた池(水温を下げ、プランクトン を増殖)と何も無い池(水温を高くし、魚の成長を促進)を水路で繋ぐ事により、安定的に魚の供給が出来ると言う。
考古学的遺構が集中するのは、県都トリニダード周辺およびマモレ川周辺(Víctor Bustosによれば20000ヶ所の遺跡があるという)、およびリャノス・デ・モホスの北部でペルー共和国 に近いLa Esperanza周辺という(Erickson 1980)。
研究史
古くから海外の調査隊による試掘 や表面調査 、現地ボリビアの考古学 者による試掘などが行われてきたが、昨今では、アメリカやドイツによって長期にわたって調査が行われてきた。
学術的な調査としては、Erland Nordeskiöld(1913、1917、1924)、Stig Rydén(1942、1964)らの基礎的な試掘に始まり、Wanda Hanke(1957)、Heinz Kelm(1953)、G.Plafker(1963)、William Denevan(1966、1980)、Víctor Bustos(1976、1978)、Clark Erickson(1980)、Dougherty y Calandra(1981、1981-82、1984-85、1985)、Jorge Arellano(1984)、Arnold y Kenneth(1988)、Heiko Pruemers(1995、1996、1997)、Kenethe Lee(1999)、Marcos Michel(1995)、Max Portugal Ortiz(2000)、Clark Erickson(1995、2000、2001)、Jorge Arellano(2002)らの調査がある(成果発表時代順に名姓順であえて表記)。Ericksonは、一時期ティティカカ湖 沿岸のワル・ワル の調査を行うため、ベニ を離れるものの、90年代半ば以降再びベニに戻り調査を行った(Ewickson 1995、2000、2001)。
脚注