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この項目では、神戸港にある波止場について説明しています。横浜港にある波止場については「大さん橋」をご覧ください。 |
メリケン波止場(メリケンはとば)は、兵庫県神戸市中央区波止場町にある、神戸港の波止場の一つ。
概要
1868年5月23日(慶応4年閏4月2日)に神戸外国人居留地(当時はまだ造成中)の西端となる鯉川尻に第三波止場として築造された[1]。同時に宇治川尻にも第四波止場が築造された[1]。
1868年1月1日(慶応3年12月7日)の開港時からある生田川尻の波止場が第一波止場、同年4月30日(慶応4年4月8日)に現在の中突堤基部のあたりに築造された波止場が第二波止場と、築造順に番号が振られていた。しかし、東から第一、第三、第二、第四という並びになったこともあって、1874年(明治7年)に第二と第三の並びを入れ替える形で第二波止場と改称された[2]。
居留地の造成工事は結果的に1868年8月14日(慶応4年6月26日)に竣工、同年9月10日(慶応4年7月24日)に永代借地権の第1回競売と遅れ[1]、米国領事館は居留地外となる鯉川河口西岸(現在の神戸郵船ビルの位置)に設置されていた。鯉川尻かつ米国領事館前の第二(もと第三)波止場は「アメリカン」の英語の原音発音から「メリケン波止場」と呼ばれ定着した。漢字では「米利堅波止場」などと表記され、鯉川暗渠化による鯉川筋はメリケンロードとも呼ばれる。なお、米国領事館は1880年(明治13年)頃に居留地15番地へ移転している。
1898年(明治31年)と1925年(大正14年)に増築、1925年と1956年(昭和31年)に嵩上げが行われた[1]。戦時中に「万国波止場」と改称されたが戦後に復称している。
1983年(昭和58年)にメリケン波止場 - 中突堤間の埋立工事が着工、1987年(昭和62年)に竣工し「メリケンパーク」が開園した。大正期竣工の高浜岸壁や新港突堤、昭和初期竣工の中突堤など、他の代表的な神戸港の波止場より歴史のある波止場だったが、1995年(平成7年)に発生した阪神・淡路大震災により、波止場であった場所が崩壊。メリケン波止場の一部(岸壁60m)が被災したそのままの状態で保存され、見学できる公園として1997年(平成9年)7月に神戸港震災メモリアルパークが整備された。
神戸港と同じ時期に発展した横浜港の大さん橋も「メリケン波止場」と呼ばれていた[3]。
脚注
関連項目