メアリー・シェリーの肖像画(1840年 、リチャード・ロスウェル画、ナショナル・ポートレート・ギャラリー 蔵)
メアリー・ウルストンクラフト・ゴドウィン・シェリー (Mary Wollstonecraft Godwin Shelley、1797年 8月30日 - 1851年 2月1日 )は、イギリス の小説家 。ゴシック小説 『フランケンシュタイン 』で知られる。ロマン派 詩人 パーシー・ビッシュ・シェリー の妻。
人物
ゴシック小説 『フランケンシュタイン 』で名を残した。同作品によってメアリーはブライアン・オールディス 他多くの作家・文芸評論家 らにより、SF の先駆者、あるいは創始者と呼ばれた。
母親はフェミニズム の創始者、あるいは先駆者とも呼ばれるメアリー・ウルストンクラフト 、父親は無神論 者でアナキズム の先駆者であるウィリアム・ゴドウィン 。
夫は詩人のパーシー・シェリー 。日本では単にシェリー夫人 と呼ばれることもあった
年譜
1756年 父・ウィリアム・ゴドウィン誕生。
1759年 母・メアリ・ウルストンクラフト 誕生。
1789年 フランス革命 。
1792年 夫となるパーシー・ビッシュ・シェリー誕生。
1797年 ゴドウィンとウルストンクラフトが結婚。
8月30日 ロンドンでメアリーが生まれ 、メアリー・ウルストンクラフト・ゴドウィンと名付けられる。
9月10日 母・ウルストンクラフト、産褥熱 で死去。
1801年 父・ゴドウィン、メアリー・ジェーン・クレモントと再婚。
1813年ごろ パーシー・シェリーと出会う。
1814年 シェリーとの恋愛に父が激怒。メアリーは大陸へ駆け落ち。帰国。
1815年 第一子(長女)が生まれるが、生後間もなく死去。
1816年1月24日 第二子(長男)ウィリアム誕生。
5月 バイロン に誘われ、レマン湖畔で過ごす。バイロンの提案(ディオダティ荘の怪奇談義 )をきっかけに小説『フランケンシュタイン』の着想を得、執筆に取りかかる。
9月 イギリスに帰国。
12月 シェリーの妻が自殺したため、メアリーはシェリーと結婚。
1817年5月 『フランケンシュタイン』脱稿。
1818年1月1日 『フランケンシュタイン』初版をロンドンの小出版社 Harding, Mavor & Jones から匿名で出版。
1818年3月11日 『フランケンシュタイン』初版に夫シェリーの序文を付けて再度匿名で出版。この日、子どもを連れてイタリアへ。
1819年6月7日 長男ウィリアムがマラリアのため死去。
11月12日 第四子(次男)パーシー・フローレンス誕生。
1822年7月8日 夫・パーシーがイタリア、スペツィア湾で暴風雨によるヨット沈没で死去。
1823年2月 『フランケンシュタイン』第2版を出版。
1824年4月19日 ギリシャ独立戦争 でバイロンが病死。
1826年 『最後の人間 』(The Last Man )出版。
1831年 『フランケンシュタイン』第3版(改訂版)を出版。
1851年2月1日 メアリー死去 。享年53歳。
邦訳
メアリー・シェリーの登場する映像作品
1935年、『フランケンシュタインの花嫁 』:監督 ジェームズ・ホエール、メアリー・シェリーとモンスターの花嫁(タイトルロール )役エルザ・ランチェスター
1986年、『ゴシック 』Gothic Virgin Vision:監督ケン・ラッセル 監督、メアリー・シェリー役ナスターシャ・リチャードソン
1988年、『幻の城 バイロンとシェリー』Remado al Viento (Rowing with the Wind / Rowing in the Wind) :ゴンザロ・スアレス監督、メアリー・シェリー役リジー・マッキナニー
1997年、『クローン・オブ・エイダ』Conceiving Ada :監督 リン・ハーシュマン=リーソン、メアリー・シェリー役エスター・マリガン
2015年-2017年、『フランケンシュタイン・クロニクル 』The Frankenstein Chronicles : メアリー・シェリー役 アンナ・マックスウェル・マーティン - テレビドラマシリーズ
2017年、『メアリーの総て 』Mary Shelly :監督ハイファ・アル=マンスール 、メアリー・シェリー役エル・ファニング
関連文献
関連項目
外部リンク
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