1988年にフェーリアンの本拠である西ドイツからデビュー。ヨーロッパ各国でのヒットを実績にアメリカへ上陸。アリスタ・レコードと契約、「Girl You Know It's True」は全米2位、その後3枚のシングルは全米1位の大ヒットを記録する。ポップでダンサブルなサウンドと流行の兆しを見せていたラップ、モデルさながらのファッショナブルなルックスも手伝ってそのヒットは世界的に広がり、1990年には、グラミー賞の最優秀新人賞を受賞した。
ところがそのヒットがピラトゥスとモーヴァンを増長させる。二人は後にフェーリアンと対立、フェーリアンは意趣返しとばかりに彼らがレコーディングでは歌っていない、すなわち口パクであることを暴露したため大騒動となった。二人は記者会見でその事実を認めつつも 「Girl You Know It's True」 の一節を歌ってみせるが、実際の歌声は記者たちの失笑を買うほどのものであった。この事実を隠したままグラミー賞を受賞してしまったことで賞は剥奪、レコードも廃盤となり、ミリ・ヴァニリは事実上芸能界から追放された。
この騒動の後、実際に歌っていた「影武者」たちはリアル・ミリ・ヴァニリ(Real Milli Vanilli)として再デビューしヨーロッパでは一定の成功を収める。かたやピラトゥスとモーヴァンもロブ&ファブとして再デビューするが、こちらは売れるはずもなかった。
その後、フランク・フェーリアンはピラトゥスとモーヴァンをリードヴォーカルに据え、再度ミリ・ヴァニリとしてカムバック・アルバム「Back and in Attack」を制作し復帰を目指したが、ピラトゥスはドラッグやアルコールに溺れた挙げ句に強盗事件を起こし、カリフォルニアの刑務所に3か月間服役することになる。フェーリアンはピラトゥスのドイツへの帰国費用とリハビリ施設での費用を負担して彼の復帰に尽力したものの、ピラトゥスは復帰作のプロモーションツアーを翌日に控えた1998年4月3日、フランクフルト近郊の町フリードリヒスドルフのホテル"Kent's Cube"の一室で死亡しているのが発見された。32歳没。死因はアルコールと薬物離脱プログラムに使われる処方薬の過剰摂取による偶発的なものとみられている。