マニサ (Manisa) は、トルコのマニサ県にあった都市で、同県の県都であった。
2012年の行政改編でマニサ県全体がマニサ大都市自治体に指定されることにより、 元のマニサ市は分割され、シェフザデレル(Şehzadeler)とユヌセムレ(Yunusemre)の2つの行政区が新設される[1]。
歴史
古典古代において、街は"Magnesia ad Sipy"として知られ、紀元前190年、セレウコス朝シリアのアンティオコス3世が、マグネシアの戦いでローマ帝国に敗れた場所となることで、歴史的に重要な役割を果たした。ティベリウスの時代に、地震によって大部分が破壊されたが、ローマ皇帝により街が再建され、繁栄すると、ローマ支配下においても重要な都市であり続けた。1076年、ビザンチン帝国がマラズギルトの戦いと、これに続く第一回十字軍におけるドリュラエウムの戦いにより十字軍が勝利し、その結果、マニサがアレクシオス1世コムネノスに奪還された。
希土戦争 (1919年-1922年)では、ギリシャ軍によってマニサの1万戸以上の家屋と15のモスクが破壊された。
気候
マニサの気候
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月 |
1月 |
2月 |
3月 |
4月 |
5月 |
6月 |
7月 |
8月 |
9月 |
10月 |
11月 |
12月 |
年
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最高気温記録 °C (°F)
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24.0 (75.2)
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26.4 (79.5)
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31.6 (88.9)
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32.7 (90.9)
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39.1 (102.4)
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42.0 (107.6)
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45.5 (113.9)
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43.7 (110.7)
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41.7 (107.1)
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37.3 (99.1)
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29.9 (85.8)
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25.9 (78.6)
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45.5 (113.9)
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平均最高気温 °C (°F)
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10.7 (51.3)
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12.2 (54)
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16.2 (61.2)
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21.2 (70.2)
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27.2 (81)
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32.5 (90.5)
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35.2 (95.4)
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35.0 (95)
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30.6 (87.1)
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24.2 (75.6)
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16.9 (62.4)
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11.9 (53.4)
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22.82 (73.09)
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平均最低気温 °C (°F)
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3.0 (37.4)
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3.6 (38.5)
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5.5 (41.9)
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9.3 (48.7)
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13.7 (56.7)
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18.3 (64.9)
|
21.2 (70.2)
|
21.0 (69.8)
|
16.6 (61.9)
|
12.4 (54.3)
|
7.3 (45.1)
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4.7 (40.5)
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11.38 (52.49)
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最低気温記録 °C (°F)
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−7.0 (19.4)
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−8.9 (16)
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−5.1 (22.8)
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−2.0 (28.4)
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4.0 (39.2)
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7.6 (45.7)
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13.4 (56.1)
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12.2 (54)
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8.4 (47.1)
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2.3 (36.1)
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−3.4 (25.9)
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−6.0 (21.2)
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−8.9 (16)
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降水量 mm (inch)
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110.7 (4.358)
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98.4 (3.874)
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79.9 (3.146)
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56.1 (2.209)
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32.3 (1.272)
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15.5 (0.61)
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9.5 (0.374)
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7.9 (0.311)
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22.0 (0.866)
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50.5 (1.988)
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97.0 (3.819)
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129.5 (5.098)
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709.3 (27.925)
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平均降雨日数
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11.2
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10.8
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9.2
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9.3
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6.4
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3.2
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2.1
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1.5
|
3.3
|
6.1
|
9.4
|
12.9
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85.4
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平均月間日照時間
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89.9
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106.4
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170.5
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201.0
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275.9
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327.0
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356.5
|
334.8
|
279.0
|
201.5
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123.0
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74.4
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2,539.9
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出典:Devlet Meteoroloji İşleri Genel Müdürlüğü [2]
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姉妹都市
脚注
- ^ “Başbakanlık Mevzuatı Geliştirme ve Yayın Genel Müdürlüğü”. www.resmigazete.gov.tr (12/11/2012). 2022年2月3日閲覧。
- ^ “アーカイブされたコピー”. 2011年4月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年3月19日閲覧。
外部リンク
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