マックス・ローチ (Max Roach 、1924年 1月10日 - 2007年 8月16日 )は、アメリカ合衆国 出身のジャズ ・ドラマー 。ケニー・クラーク と並んで、最も早い時期からビバップ のスタイルで演奏していたドラマーとして知られる[ 1] 。
来歴
誕生〜1940年代
アメリカ合衆国 ノースカロライナ州 ニューランド生まれ。母はゴスペル 歌手であった[ 2] [ 1] 。4歳の時にブルックリン に移り、8歳になると近所のバプティスト教会 でピアノ を習い始める[ 3] 。そして、10歳の頃にはゴスペル・バンドでドラムを叩いていた[ 1] 。
18歳までには、ミントンズ・プレイハウス やモンローズ・アップタウン・ハウスといったジャズ・クラブで、ビ・バップ のさきがけとなったジャム・セッション に参加するようになり、チャーリー・パーカー やディジー・ガレスピー と共演を重ねたり、ケニー・クラーク の演奏を聴いて影響を受けたりしていた[ 2] 。
1943年 にコールマン・ホーキンス のグループで活動。1945年から1953年にかけては、チャーリー・パーカーの多くの録音に参加した。この時期には、ディジー・ガレスピーやマイルス・デイヴィス 等の録音にも参加している。
1950年代
1952年、チャールス・ミンガス と共にデビュー・レコード を設立[ 2] 。1953年には、ローチにとって初のリーダー・アルバム『The Max Roach Quartet featuring Hank Mobley』をハンク・モブレー やウォルター・デイヴィス・ジュニア 等と共に録音して[ 4] 、デビュー・レコードから発表。
また、1953年5月15日には、トロント のマッセイ・ホールでチャーリー・パーカー、バド・パウエル 、ディジー・ガレスピー、チャールス・ミンガスと共演。この時の演奏は、ビ・バップのオールスター・アルバムと言える『ジャズ・アット・マッセイ・ホール 』としてレコード化されている。
1954年春、クリフォード・ブラウン と共に双頭クインテットを結成。その結成に先立ち、ローチはブラウンの演奏を確認するためバードランド に足を運び、当時ブラウンが在籍していたアート・ブレイキー のクインテットのライヴを見ていたという[ 5] 。しかし、ブラウンとのクインテットの人気が高まっていた1956年6月、ブラウンとメンバーのリッチー・パウエル が自動車事故で死去してしまう。そのため、ブラウンとの双頭クインテットは短命に終わり、ショックを受けたローチは酒に溺れていた時期もあったという[ 6] 。
1956年から1957年にかけて、ケニー・ドーハム やソニー・ロリンズ 等と共に録音されたリーダー・アルバム『ヴァルス・ホット〜ジャズ・イン3/4タイム』は、全曲ともワルツ のリズムとなっており、音楽評論家のスコット・ヤナウ はallmusic.com において「これらの優れた演奏は、必ずしも4分の4拍子でなくともジャズがスウィングできることを示している」と評している[ 7] 。1957年10月には、後にローチの妻となる歌手アビー・リンカーン のアルバム『ザッツ・ヒム!』に参加した。
1960年代
1960年、ローチとチャールス・ミンガス は、ニューポート・ジャズ・フェスティバル におけるジャズメンの扱いに対して異議を表明するため、同じロードアイランド州 ニューポート で、ニューポート・ジャズ・フェスティバルに対抗したジャズ・フェスティバルを開催する[ 6] 。
同じ1960年8月31日から9月6日には、公民権運動 に関わっていた詩人/歌手のオスカー・ブラウン・ジュニア (英語版 ) の詩を取り上げて、アメリカ白人による人種差別 に抵抗したアルバム『ウィ・インシスト』を録音。同作にはアビー・リンカーン 、コールマン・ホーキンス 、ブッカー・リトル 等が参加しており、音楽的には4分の5拍子が多用されている[ 8] 。音楽評論家のMichael G. Nastosは、allmusic.comにおいて『ウィ・インシスト』を「1960年代のアフリカ系アメリカ人 の抗議運動において重要な作品であり、そのメッセージや強靭さは、なおも意義を持ち続けている」と評している[ 8] 。この録音に参加したメンバーの多くは、1961年2月にアビー・リンカーンのアルバム『ストレート・アヘッド 』の録音に参加した。
1962年9月には、チャールス・ミンガスと共に、デューク・エリントン のアルバム『マネー・ジャングル 』の録音に全面参加。音楽評論家のKen Drydenは、allmusic.comにおいて同作を「歴史的なトリオ」「このセンセーショナルなレコーディング・セッションは、すべてのジャズ・ファン必携」と評している[ 9] 。
私生活では、1962年にはアビー・リンカーンと結婚するが、1970年に離婚[ 2] 。
1970年代以降
1970年には、メンバー全員がパーカッショニスト というユニークな編成のユニット、ン・ブーム を結成[ 10] 。1970年代には音楽教育にも力を入れて、1972年にはマサチューセッツ大学 の教授となった[ 6] 。1970年代後半には、アンソニー・ブラクストン 、アーチー・シェップ 、セシル・テイラー といったフリー・ジャズ 系の演奏家とも共演を重ねた。1981年のリーダー・アルバム『Chattahoochee Red』は、『ビルボード 』誌のジャズ・チャートで24位に達した[ 11] 。
1985年には、自身のカルテットとアップタウン・ストリング・カルテットのダブル・カルテット編成によるアルバム『Easy Winners』を録音した。ローチは、次作『Bright Moments』(1987年)でもアップタウン・ストリング・カルテットと共演している。なお、アップタウン・ストリング・カルテットのヴィオラ 奏者は、ローチの娘マキシンである[ 12] 。
2002年、音楽プロデューサー の伊藤八十八の発案により[ 13] 、クラーク・テリー と連名のアルバム『フレンド・シップ』がレコーディングされる。これが、ローチにとって最後のレコーディングとなった。
死
マックス・ローチの墓
2007年8月16日、ニューヨーク の病院で、ローチは83歳で死去した。8月24日に行われた追悼集会では、下院 議員のチャーリー・ランゲルがビル・クリントン 前大統領 の弔辞を代わりに読み上げ、セシル・ブリッジウォーター 、レジー・ワークマン 、カサンドラ・ウィルソン 等が追悼演奏をしたのに加え、ソニー・ロリンズ やロイ・ヘインズ 等も参列した[ 14] 。
ローチは生涯のうちに、娘3人と息子2人に恵まれた[ 6] 。
評価
ローチの演奏は、しばしば「歌うようなドラム」と評される。ジャズ・ドラマーのジェフ・テイン・ワッツ は、1996年のインタビューにおいて、ローチの演奏を「声そのもの」「ドラミングで歌がうたえたり会話ができたりする」と評しており[ 15] 、ジャズ評論家の粟村政昭は「ドラムでメロディを叩くことのできた最初のドラマー」と評している[ 16] 。1966年のアルバム『限りなきドラム』は、全6曲のうち3曲がローチのドラム演奏のみという内容だが、音楽評論家のスコット・ヤナウ は、allmusic.comにおいてそれら3曲を「メロディックで論理的に構築された即興演奏の才能によって、なおも聴き手の関心を惹きつける」と評している[ 17] 。
その他
ランベス・ロンドン特別区 には、ローチにちなんで名づけられた公園「マックス・ローチ・パーク」がある[ 18] 。
蔵原惟繕 監督の日活 映画『黒い太陽』 (1964年4月封切り)に、マックス・ローチ・カルテット (ドラムス=マックス・ローチ、サックス=クリフォード・ジョーダン、ピアノ=ロニー・マシューズ、ベース=エディー・カーン、歌はアビー・リンカーン)で出演している。
ディスコグラフィ
リーダー・アルバム
1950年代
1960年代
1970年代
『ブラック・レクイエム』 - Lift Every Voice and Sing (1971年、Atlantic) ※1971年4月録音
Force: Sweet Mao–Suid Afrika '76 (1976年)
Nommo (1976年)
『ライヴ・イン・ジャパン』 - Max Roach Quartet Live in Tokyo (1977年)
The Loudstar (1977年)
Max Roach Quartet Live In Amsterdam – It's Time (1977年)
Solos (1977年)
Streams of Consciousness (1977年)
Confirmation (1978年)
Birth and Rebirth (1979年、Columbia) ※1979年7月録音
The Long March (1979年、Hathut) ※1979年8月録音
One in Two – Two in One (1979年、Hathut) ※1979年8月録音
Pictures in a Flame (1979年、Soul Note) ※1979年9月録音
1980年代
1990年代
Homage to Charlie Parker (1990年、A&M) ※1989年録音
To the Max! (1992年、Enja) ※1990年、1991年録音
『フェスティヴァル・ジャーニー』 - Max Roach With The New Orchestra Of Boston And The So What Brass Quintet (1996年、Blue Note) ※1993年12月、1995年10月録音
Beijing Trio (1999年、Asian Improv)
ン・ブーム
『リ・パーカッション』 - Re: Percussion (1973年8月録音)(1973年、Strata-East)
『撃攘』 - Re: Percussion (1977年、Baystate)
『ウン・ブーム』 - M'Boom (1979年、Columbia)
Collage (1984年)
To the Max! (1991年、Enja) ※マックス・ローチ名義。3曲がン・ブームの演奏
Live at S.O.B.'s New York (1992年)
クリフォード・ブラウンとの共同アルバム
ブラウン・ローチ・インコーポレイテッド : Brown And Roach Incorporated (1954年)
マックス・ローチ=クリフォード・ブラウン・イン・コンサート : Max Roach and Clifford Brown in Concert (1954年)
クリフォード・ブラウン=マックス・ローチ : Clifford Brown and Max Roach (1955年)
スタディ・イン・ブラウン : Study in Brown (1955年)
モア・スタディ・イン・ブラウン : More Study in Brown (1955年)
アット・ベイズン・ストリート : Clifford Brown and Max Roach at Basin Street (1956年)
その他
参加アルバム
ジョージ・ウォーリントン
『ザ・ジョージ・ウォーリントン・トリオ&セプテット』 - The George Wallington Trip and Septet (1951年)
デューク・エリントン
ソニー・クラーク
『ソニー・クラーク・トリオ』 - Sonny Clark Trio (1960年)
ジョニー・グリフィン
『イントロデューシング・ジョニー・グリフィン』 - Introducing Johnny Griffin (1956年)
ベニー・ゴルソン
『ザ・モダン・タッチ』 - The Modern Touch (1958年)
サド・ジョーンズ
『ザ・マグニフィセント・サド・ジョーンズ』 - The Magnificent Thad Jones (1956年)
ヘイゼル・スコット
『リラックス・ピアノ・ムーズ』 - Relaxed Piano Moods (1955年)
ソニー・スティット
『スティット、パウエル&J.J.』 - Sonny Stitt/Bud Powell/J. J. Johnson (1949年、1950年)
トミー・タレンタイン
『トミー・タレンタイン〜マックス・ローチ・セクステット』 - Tommy Turrentine (1960年)
マイルス・デイヴィス
『クールの誕生』 - Birth of the Cool (1949年)
『コンセプション』 - Conception (1951年)
ケニー・ドーハム
『ジャズ・コントラスツ』 - Jazz Contrasts (1957年)
ハービー・ニコルス
『ハービー・ニコルス・トリオ』 - Herbie Nichols Trio (1956年)
バド・パウエル
チャーリー・パーカー
『52丁目のチャーリー・パーカー』 - Bird on 52nd Street (1948年)
『ジャズ・アット・マッセイ・ホール』 - Jazz at Massey Hall (1953年)
『ナウズ・ザ・タイム』 - Now's the Time (1953年)
その他、コンピレーション・アルバム 多数。
クリフォード・ブラウン
『クリフォード・ブラウン・ウィズ・ストリングス』 - Clifford Brown with Strings (1955年)
チャールズ・ミンガス
『チャールス・ミンガス・クインテット+マックス・ローチ』 - The Charles Mingus Quintet + Max Roach (1955年)
セロニアス・モンク
ブッカー・リトル
アビー・リンカーン
『ザッツ・ヒム!』 - That's Him! (1957年)
『アビー・イズ・ブルー 』 - Abbey Is Blue (1959年)
『ストレート・アヘッド 』 - Straight Ahead (1961年)
ソニー・ロリンズ
『ワークタイム』 - Work Time (1955年)
『ソニー・ロリンズ・プラス・フォー』 - Sonny Rollins Plus 4 (1956年)
『ツアー・デ・フォース』 - Tour de Force (1956年)
『ロリンズ・プレイズ・フォー・バード』 - Rollins Plays For Bird (1956年)
『サキソフォン・コロッサス 』 - Saxophone Colossus (1956年)
『フリーダム・スイート 』 - Freedom Suite (1958年)
ダイナ・ワシントン
『ダイナ・ジャムズ』 - Dinah Jams (1954年)
出典
外部リンク