マイネプリテンダー(欧字名:Meine Pretender、1995年11月12日 - 2005年5月28日)は、ニュージーランドで生産された日本の競走馬、繁殖牝馬[1]。
競走馬としては重賞勝ちなどの成績を収めることはできなかったが、繁殖牝馬として4頭の重賞勝ち馬を輩出した。
経歴
競走馬時代
1998年4月4日、中山競馬場第3競走の4歳未出走で、柴田大知を鞍上にデビューし2着。その後も2戦し2着となるが、4戦目の4歳未勝利で初勝利を挙げた。しかし、脚部不安により、わずか4戦で引退を余儀なくされることとなった[2]。通算成績1勝2着3回で、連対率100%の状態での引退であった。
繁殖牝馬時代
引退後はビッグレッドファームで繁殖牝馬となる。すると、初仔のマイネヌーヴェルがフラワーカップを制し、早くも産駒から重賞勝ち馬が現れることとなった。マイネヌーヴェルは、重賞はこのフラワーカップの1勝のみであるが、後に孫にあたるマイネルファンロンが新潟記念を、その半妹ユーバーレーベンが優駿牝馬を制している。
その後も、2004年産のマイネルアワグラスはダートのGIII・シリウスステークスを、2005年産のマイネルチャールズは京成杯と弥生賞を制しクラシック三冠レースでも好走するなど活躍を見せた。さらに、2003年産のマイネルネオスは、2011年に8歳で中山グランドジャンプを制覇。鞍上はかつてマイネプリテンダーに騎乗した柴田大知で、この勝利は柴田にとってGI級競走初制覇となった。また、これによりマイネプリテンダーの産駒は、芝・ダート・障害のいずれのレースでも重賞を制覇したこととなった。
マイネルチャールズを産んだ1ヶ月後の2005年5月28日に死亡した[2][3]。10歳没。牝駒はマイネヌーヴェルのみで、牡馬の産駒はいずれも種牡馬入りしていないため、マイネヌーヴェルとその産駒が母の血を継いでいくこととなった。
競走成績
以下の内容は、netkeiba.com[4]およびJBISサーチ[5]に基づく。
競走日 |
競馬場 |
競走名 |
格 |
距離(馬場) |
頭 数 |
枠 番 |
馬 番 |
オッズ (人気) |
着順 |
タイム (上り3F) |
着差 |
騎手 |
斤量 [kg] |
1着馬(2着馬) |
馬体重 [kg]
|
1998.04.04
|
中山
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4歳未出走
|
|
芝1200m(稍)
|
16
|
6
|
11
|
003.80(2人)
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02着
|
R1:11.1(35.9)
|
-0.8
|
0柴田大知
|
50
|
アプリコットデュー
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484
|
0000.04.18
|
中山
|
4歳未出走
|
|
芝2000m(不)
|
12
|
2
|
2
|
002.50(1人)
|
02着
|
R2:06.2(37.0)
|
-0.7
|
0柴田大知
|
50
|
ユキノコマチ
|
488
|
0000.05.09
|
東京
|
4歳未勝利
|
|
芝2000m(良)
|
11
|
7
|
9
|
002.90(2人)
|
02着
|
R2:02.8(35.4)
|
-0.8
|
0蛯名正義
|
51
|
クリールポイント
|
494
|
0000.05.31
|
東京
|
4歳未勝利
|
|
芝1800m(良)
|
18
|
7
|
14
|
001.70(1人)
|
01着
|
R1:49.8(35.0)
|
-0.2
|
0蛯名正義
|
51
|
(ホウヨウマリン)
|
492
|
繁殖成績
主要なファミリーライン
「f」は「filly(牝馬)」の略、「c」は「colt(牡馬)」の略。太字はGI級競走優勝馬。#は重賞競走優勝馬。
血統表
脚注
注釈
出典
関連項目
- 産駒の4頭以上がグレード制重賞を制した日本の繁殖牝馬
外部リンク