振付師としての活躍が目に留まり、ヴァージン・レコードと契約。1988年にデビューアルバム『Forever Your Girl』を発表。このアルバムは発表から62週間をかけて米・ビルボード誌のアルバムチャートで1位を記録し、頂点に立つまでに一番長くかかったアルバムとして知られている。最初にシングルカットされた「あいつにノック・アウト」(Knocked Out)こそ、シングルチャート41位という成績に終わったが、「ストレイト・アップ」(Straight Up)が、デビッド・フィンチャーの手によるハイセンスなビデオで注目されてヒット。これに続いて「冷たいハート」(Cold Hearted)、「フォーエバー・ユア・ガール」(Forever Your Girl)、「甘い誘惑」(Opposites Attract)の計4曲がこのアルバムからビルボード誌のシングルチャートで1位を射止め、一躍人気シンガーの仲間入りを果たすことになる。
1991年にはセカンドアルバム『Spellbound』を発表し、彼女にとって初のバラードシングルとなった「あふれる想い」(Rush,Rush)や、The Promise Of A New Dayの2曲を全米シングルチャートの1位に送り込む、同年12月にはハリウッド・ウォーク・オブ・フェームに名前が刻まれた。
1992年には初のワールドツアーUnder My Spell Tourを開催し、来日公演も実現した。
日本では、1989年にサントリーが当時、輸入販売していたカリフォルニア産ワイン「サントリー カリフォルニア」(すでに販売終了)のCMに出演し、自身のヒット曲Forever Your Girlを多数のダンサーと共に、パフォーマンスしていたことがある。他にも来日公演のスポンサーであったWOWOWのCMやジングル等にも出演していた。
1995年に発表されたサードアルバム『Head Over Heels』は中東風アレンジの「マイ・ラヴ・イズ・フォー・リアル」(My Love is for Real)や、杖を使った振付が特徴的な「クレイジー・クール」(Crazy Cool)などを収録した意欲作だったものの、興業的に失敗に終わったことから、これ以降、現在に至るまで、オリジナルアルバムはリリースされていない。
1990年代後半にはエクササイズのDVDを発売。1997年にはテレビ映画『コールド・アイズ』(原題:Touched by Evil)で主演。
2000-2017: 審査員として新たなブレイク
2000年に入りアメリカの人気オーディション番組アメリカン・アイドルの審査員を務めるようになり、人気が再浮上、アメリカ国内で再ブレイクすると共に、2008年には、久々に音楽界にカムバックし、同じくアメリカンアイドル審査員のランディ・ジャクソンのプロデュースで新曲「ダンス・ライク・ゼアズ・ノー・トゥモロー」(Dance Like There's No Tomorrow)を発表している。
2009年、9シーズン目のアメリカンアイドルには参加しないことが発表された[6]。同年にはシングルI'm Just Here for the Musicを発表。
2011年、米国版Xファクターに審査員として参加。2015年から2016年にかけて『So You Think You Can Dance』の審査員も務める[7]。