「ポーク・サラダ・アニー」(Polk Salad Annie)は、トニー・ジョー・ホワイトが1968年に発表した楽曲。
概要
トニー・ジョー・ホワイトはルイジアナ州ウェストキャロル郡オーク・グローブに7人きょうだいの末っ子として生まれ[3]、18歳まで南部の奥地で育った。その頃の体験を元にホワイトは本作品を書いた。彼は「ポーク・サラダ・アニー」と「雨のジョージア(Rainy Night in Georgia)」を書いたきっかけについて次のように証言している
「ビリー・ジョーの唄(
Ode to Billie Joe)」をラジオで聴いたとき歌詞のリアルさに驚いた。俺はあの生活を知っている、なぜなら俺こそがビリー・ジョーだからだ、と思った。俺はずっと綿畑の中で暮らして来た。もし曲を書くときが来たら、自分が知っていることについて書こうと思った。当時ステージではドラマーの奴と、
エルヴィスと
ジョン・リー・フッカーの曲ばかりやっていて、オリジナルはひとかけらもなかった。だいたい曲を書くなんて考えもしなかった。だがボビー・ジェントリーを聴いたあと腰を落ちつけて考えた。・・・俺は
ヨウシュヤマゴボウ(pokeweed)のことならよく知っている。何しろくさるほど食べたからな。雨の夜のこともよく知っている。なぜって
ジョージア州の
マリエッタで雨の夜を何度も過ごしたからな。最初に試しに書いたものがあんなに長く残る曲になったのだから、俺は本当に幸運だった
[4]。
録音は1968年5月16日、ナッシュビルのRCAスタジオBで行われた。のちに「I Can Help」のヒットを飛ばすシンガーソングライターのビリー・スワンがプロデューサーを務め、バーゲン・
ホワイトがアレンジャーを務めた[1]。レコーディングにはノーバート・パットナム(ベース)、ジェリー・キャリガン(ドラムズ)、デヴィッド・ブリッグス(オルガン)らが参加した。
同年8月にシングルとして発売されるが売れ行きは芳しくなく、チャートインするまでに9か月かかった。そしてついに1969年8月23日付のビルボード・Hot 100で8位に到達[5]。ビルボードの1969年の年間チャートでも77位を記録した。同年に発売されたファースト・アルバム『Black and White』に収録された。
エルヴィス・プレスリーのカバー・バージョンもよく知られる。1970年6月発売のライブ・アルバム『エルヴィス・オン・ステージVol.2(On Stage)』に収録され、同年11月公開の映画『エルビス・オン・ステージ』でリハーサルとステージの演奏の両方が収録された。前者のアルバムの録音の多くが行われた1970年2月のラスベガスのコンサートにプレスリーはホワイトを招待し、ホワイトはそのあいだ楽屋でプレスリーと会う機会を得た。
彼は古いアコースティックギターを持っていて、会うと必ず俺に古いブルースのフレーズか何かを弾かせたがった。彼もやってみたくて覚えようとしたんだな。エルヴィスはギターが好きだったが、そんなに弾けるわけではなかった。でもいっしょにいるときは俺に対していつもよくしてくれたよ
[6]。
脚注