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この項目では、オゴデイの皇妃について説明しています。その他の用法については「ボラクチン」をご覧ください。 |
ボラクチン(モンゴル語: Boraqčin qatun、生没年不詳)は、モンゴル帝国第2代皇帝(カアン)オゴデイの第1皇后(ハトゥン)。
『元史』などの漢文史料では孛剌合真(Bólàgĕzhēn)、『集史』などのペルシア語史料ではبوراقچین خاتون(Būrāqchīn khātūn)と記される。
概要
『集史』「オゴデイ・カアン紀」では第1の妃(Khātūn-i avval)で「全皇后たちのうちで最も年上であった」と記され、また『元史』巻106后妃表でも「正宮孛剌合真皇后」と記されるなど、オゴデイの妃の中でも最も地位の高い女性であった。しかし、『集史』では出身部族名や父親名が空欄となっており、その出自については不明な点が多い[1]。
ボラクチンの事蹟については記録が少ないが、オゴデイの五男のカシンとともに儒書・医書・陰陽・卜巫・諸子百家を網羅する『道蔵』の刊行を支援したことなどが知られている[2]。ボラクチンが平陽路に『道蔵』の刊行関連の指示を出した命令文はウイグル文字モンゴル語で碑文に記録されている[3]。
脚注
- ^ 松田1996,23頁
- ^ 宮2018,648頁
- ^ 宮2018,475頁
参考文献
- 松田孝一「オゴデイ諸子ウルスの系譜と継承」『ペルシア語古写本史料精査によるモンゴル帝国の諸王家に関する総合的研究』、1996年
- 宇野伸浩「チンギス・カン家の通婚関係の変遷」『東洋史研究』52号、1993年
- 宮紀子『モンゴル時代の「知」の東西』名古屋大学出版会、2018年