宗教改革の最中の1538年、ヨアヒム2世ヘクトルは城の周囲の建物を取り壊し、主任建築家のカスパル・タイス(Caspar Theiss)にイタリアルネサンス様式のより大きく立派で華やかな装飾の施された宮殿を造るよう命じた。タイスは既存の建物の南のケルン市街に面するように新たな翼を造りその前に広場を作った。この増築の結果城はL字型に増築され、さらに中州中央にもうひと棟増築され城は「コ」の字型になった。城の前の広場は馬上槍試合などの開催されるベルリン・ケルンの中心地となった。16世紀末のヨハン・ゲオルクはイタリア人建築家リナール伯ロクス(Rochus Graf zu Lynar、イタリア語:Rocco Guerrino di Linari、ロッコ・グェリーノ・ディ・リナーリ)にさらに西翼と北翼を作らせ二つの中庭のある「日」の字型の配置とした。東翼の北のシュプレー川沿いには「薬医棟」(ホーフアポテーケ、Hofapotheke)と呼ばれる錬金術の実験棟を作らせた。
1699年、フリードリヒ3世(1701年にプロイセン王に即位し「フリードリヒ1世」となる)はベルリン市城をバロック式王宮に改造する野望を持ち、プロテスタント・バロックを代表する建築家でもとは彫刻家であったアンドレアス・シュリューター(Andreas Schlüter)を王宮建築監督官とする契約をし宮殿をバロック様式に改築させた。彼のもと、既存の建物は秩序正しく要所要所の門に4本のコリント式大円柱を配したバロック的古典主義の外観を備えるようになり、宮殿内の広間や階段室もバロック式の装飾に彩られた。しかし1706年、王宮北西端の給水塔を「鋳造所塔」(ミュンツトゥルム、Münzturm)に改造する工事が軟弱な地盤のために失敗し、この責任を取ってシュリューターは解任された。より豪華で大きな宮殿の建築案を提出したライバル建築家ヨハン・フリードリヒ・エオザンダー・フォン・ゲーテ(Johann Friedrich Eosander von Göthe)が後を継ぐ。シュリューターの名は彼の手がけた円柱や立像が立ち並ぶバロック様式の中庭シュリューターホーフに、エオザンダーの名は八角形のドームを頂いたバロック様式の西門・エオザンダー門にそれぞれ残った。凱旋門式の入口と大きくうねるブロークン・ペディメントを載せたエオザンダー門の三階部分にはエオザンダー・カペレという八角形の大きな礼拝堂があり王族の挙式などが開かれ、隣の「白の間」(Weißen Saal)はプロイセンの歴史の舞台となった。
1964年、東ドイツ政府は国家評議会ビルを王宮跡地の南隣に新築し、カール・リープクネヒトのバルコニーをそのファサードに取り付けた。王宮跡地のうち東半分には、エーリッヒ・ホーネッカー時代の1973年から1976年にかけてブロンズミラーガラス張りの大きな近代建築である共和国宮殿(Palast der Republik)が建てられ、人民議会(Volkskammer)や美術館、レストラン、ボウリング場などに利用された。
1991年以来、少なからぬドイツ国民がベルリン王宮の再建を支持した。内部まで含めた完全な再現を望む声もあれば、外観のみ復元して内部は現代建築とするという提案もあった。ベルリン王宮協会(Gesellschaft Berliner Schloss)やベルリン王宮再建促進協会(Förderverein Berliner Schloss)などといったロビー団体が設立され、2001年には統合してベルリン王宮イニシアティブ(Stadtschloss Berlin Initiative)が発足した。これらの団体は王宮の再建案や再利用のあり方について詳細な計画を発表しており、王宮再建はベルリン中心部のルストガルテン・ベルリン大聖堂・博物館島からなる歴史地区にさらなる統一感と史跡の集積、歴史の厚みを取り戻すことができると主張している。
政府は引き続き王宮跡地の再利用(王宮再建もしくは新しい建造物の建築)について検討を重ね、2007年、連邦議会は王宮再建・フンボルトフォーラム建設のための最終的な決議を採択した。これによれば王宮のうち三方のファサード(外観)が再現されるが残る一方は建築家の自由にまかされ、内部は現代建築となる予定である。2008年12月には建築設計競技の結果、アルド・ロッシの教え子であったイタリアの建築家フランコ・ステラ(Franco Stella)の案が採択された。内部をどう利用するかは明確ではなく、様々な案が取りざたされたが、ベルリン美術館のうち、ダーレム地区にある非ヨーロッパ諸国の美術を紹介する「民族学博物館」と「アジア美術館」の移設が決定し、ここにフンボルト大学による研究所、ベルリン市立博物館財団によるベルリンの歴史の展示室、かつての共和国宮殿のようなレストランやイベントホール、映画館などが加わることになった。2009年にはこれらの事業を行うために、政府と密接に連携したNPOであるベルリン王宮・フンボルトフォーラム財団(Stiftung Berliner Schloss – Humboldtforum)が組織された。