ベルギー Belgium Belgique
加盟放送局
VRT (オランダ語 局)RTBF (フランス語 局) 国内選考大会
内部選考
1964
1965 - 1966(アーティスト)
1969(アーティスト)
1972(アーティスト)
1974(アーティスト)
1979(アーティスト)
1985
1990
1991(アーティスト)
2003
2007
2009 - 2010
2012 - 2013(アーティスト)
2015
2017 - 2022
2024
国内選考大会
1956 - 1963
1965 - 1966(曲のみ)
1967 - 1968
1969(曲のみ)
1970 - 1971
1972(曲のみ)
1973
1974(曲のみ)
1975 - 1978
1979(曲のみ)
1980 - 1984
1986 - 1989
1993
1999
2002 - 2008
2012(曲のみ)
2014
2016
2023
Finale nationale Concours Eurovision de la Chanson
Eurovision: Qui? À vous de choisir!
À vous de choisir la chanson!
主催大会
1987 ブリュッセル 出場 出場回数
65(決勝=54) 初出場
1956 最新の出場
2024 優勝
1986 最低順位
25位: 1993 最下位
13位: 1962 15位: 1961 、1965 17位: 1973 18位: 1979 19位: 1985 24位: 2000 25位: 1993 準決勝敗退
2005 、2006 、2007 、2008 、2009 、2011 、2012 、2014 、2018 、2019 、2024 無得点
1962 、1965 外部リンク
Eurovision.tvのページ
Loïc Nottet 、ウィーン での2015年大会 にて。
Blanche 、キーウ の2017年大会 にて。
ベルギーのユーロビジョン・ソング・コンテスト では、ベルギー におけるユーロビジョン・ソング・コンテスト について述べる。
歴史
ベルギーは1956年大会 からユーロビジョン・ソング・コンテストに参加を続けている。過去2017年までの時点で参加しなかったのは1994年大会 、1997年大会 、2001年大会 の3回のみであり、過去の大会順位が低かったために参加できなかったことによる。
ベルギーは、ノルウェー のベルゲン で行われた1986年大会 において、サンドラ・キム の「あこがれ 」が優勝を果たした。サンドラ・キムは15歳として出場したが、実際のキムの年齢はわずかに13歳であり、若すぎであった。しかし、キムの優勝記録は認められている。その後、規定では大会に参加できるのは16歳以上とされており、この規定が変更されない限りキムは最年少の優勝者であり続ける。ベルギーはユーロビジョン発起時からの参加国では最も遅れて優勝を果たした国である。このときの優勝によって、翌年の1987年大会 はベルギーのブリュッセル で開催された。ベルギーは1978年大会 と2003年大会 では2位に入賞している。また、2017年までの時点で、8度の最下位を経験している。
2003年大会 、アーバン・トラッド (Urban Trad )は架空の言語で歌い、165得点を集めた。アーバン・トラッドは、この年に優勝したトルコ にわずか2得点差での2位であった。イシュタル (Ishtar )もまた2008年大会 で架空の言語で歌ったものの、準決勝17位に終わり決勝進出はならなかった。
2つの放送局
ベルギーでは当初からフランデレン地域 のVRT (オランダ語 局)とワロン地域 のRTBF (フランス語 局)の2つの放送局が大会の放送を行っており、両局によって独自の内部選考または選抜大会を行い、ベルギー代表の候補者が年ごとに交互に選ばれる。1999年 以前は、英語で歌われた1977年大会 以外は全ての楽曲はオランダ語かフランス語で歌われていた。ドイツ語共同体 に欧州放送連合 の加盟局がないため、2020年までの時点で、ベルギーは第3の公用語であるドイツ語 で大会に参加したことはない。なお、メディアの観察によると、総じてRTBFが送り出したアーティストの成績はVRTが送り出したアーティストの成績より良い[ 1] 。
また、1987年大会 の主催地をめぐって、両局の間で激しい論争があった。歴史家のジュリー・カルマンによると、本来は両局の共催が計画され、専門家によりアントウェルペン の市立劇場が開催地に選定され、当時のBRT(現・VRT)側もこれを強く薦めた。しかし、前年の優勝者サンドラ・キムを送り出したRTBFは改装費用がより高いにもかかわらず、最初にブリュッセルのパレ・ドゥ・サントネール とリエージュ のコロンムーズ・スケートリンク の2カ所を開催地に提示し、その後はブリュッセルに一点張りした。1986年10月6日、RTBFは一方的にパレ・ドゥ・サントネールを会場に選定したと発表した。BRTはその後、オランダ語圏の日刊紙Het Laatste Nieuws を通じて、ブリュッセルで開催する場合、王立サーカス にすべきだと表明した上、BRTの意見が考慮されない場合はRTBFが単独で開催することになると付け加えた。それでもRTBFが同意しなかったため、憤慨したBRTは共催案から脱退し、警告の通りにRTBFの単独主催となった。その年の出場アーティストの選考は慣例通りにBRTが担当する番となったため、ベルギーが同大会から撤退するではないかという噂もあったが、結局は出場した。なお、この大会を主催する経費確保のために、それまで禁止されてきたRTBFでの広告 の放送が法律の改定により解禁となった[ 2] 。
参加者
表示
1
優勝
2
2位
3
3位
◁
最下位
X
出場曲を決定したが不参加
投票履歴
ベルギーから得点が送られた国々
ベルギーに得点を送った国々
主催
脚注
注釈
出典
概要 各年の大会
1950年代 1960年代 1970年代 1980年代 1990年代 2000年代 2010年代 2020年代
参加国
活動中※は「BIG 5」 休止中 資格停止中 現存しない国
予選 国内選考
特別番組 ジュニア
関連作品