ヘルマン・エルネスト・ヘンリク・ゲセリウス(芬: Herman Ernst Henrik Gesellius, 1874年1月16日ヘルシンキ – 1916年3月24日キルッコヌンミ)は、フィンランドの建築家。
ヘルシンキ工科大学(1897年卒業)[1]に在学中の1896年、同窓のアルマス・リンドグレン、エリエル・サーリネンと共にゲセッリウス・リンドグレン・サーリネン設計事務所を設立した[2][3][4]。
自身の名前で手がけた作品ではヘルシンキのウニオイン通り30番[5]に立つ商業ビルWuorio館(芬: Wuorion Talo)が最も有名である。1908年から1909年にかけてゲセリウスが進めた設計を仕上げたのはリンドグレンで(1913年から1914年)、Felix Nylund(フィンランド語版)の彫刻で装飾された[2]。
結核性疾患の症状が重くなり、1912年に仕事から手を引いている。1916年没[2]。